違和感を感じながら7年勤めた会社を辞めるべきでしょうか、というコメントをいただいたが
この記事「僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと」にこのようなコメントをいただいた。
記事を読ませて頂きました。 同じようなことを考えている部分があり、コメントさせてもらいました。私は会社勤めを始めてもうすぐ7年になる28歳ですが、大学出てすぐの就職をあまり 望んでいなかったことがあり、少し違和感をもちながら就職しました。そして、これまで何だか違うと思いながらも7年近くの月日が経ってしまいました。この まま何と無く違うと思いながらさらに長い時間を過ごしていくと、取り返しのつかない後悔を生むんじゃないかと恐ろしくなっています。そこで、きっぱり辞めるべきか、辞めないべきか、Ichiroさんならどのように考えるか、ぜひ聞かせて頂きたく投稿しました。長い悩みから抜け出すこと が出来ず、また20代の若い時期をこのように過ごしていることに対して、残念に思っています。個人的なことを書き込んで申し訳ないのですが、どういう風に お考えか聞かせて頂ければ嬉しく思います。長文失礼しました
さて、困ってしまった。
せっかく読んでくださってコメントをくださったのだから何かお返ししたいが、とてもヘタなことは言えない。
もう少し情報はないかと思い、idを辿っても何もわからない。
彼がほんとうはどんなことがしたくて、何に違和感を感じていて、いまいる会社がどんな会社なのか、せめてそのあたりがわかれば、何か具体的なアドバイスが浮かんでくるかもしれないが、「なんとなく違うと感じている」ということ以外にはわからない。
最初に、浮かんだアドバイスはこんな感じだ。
「違和感」というのはなんだろう。たとえば、僕は新卒で百貨店に入った時、めちゃくちゃ違和感を感じた。しかし、今思うと、その一番大きな原因は、「大きな組織の一員として働くということ」に僕が慣れていなかったことだと思える。社会、あるいは会社というゲームのルールがわからず、自分の価値観をそれにさっさとあわせることができなかったのである。
中堅になったころ、仕事そのものは面白くて仕方がなかったのだが、その時に薄々感じていた違和感は、「ファッションのことは、どうしても、心の芯で考えられないなあ。でも、百貨店はファッション産業だ。僕はここに居るべきなんだろうか」というものだった。
僕は結局その疑問に答えのないまま辞めてしまったわけだが、今から考えるとそれはうまくいかないことの言い訳に過ぎなかったかもしれないとも思う。
ファッション感覚に優れていないが、偉くなっていかれる人を現実に何人も見た。たしかに、百貨店の扱いアイテムの主力はファッションだけど、もっと大きく見るとひとつの小売の業態に過ぎず、ビジネスに必要とされるものは、ファッション感覚よりもロジカルシンキングであったり、経営センスそのものであった。
「ファッション」にあまり興味のない僕が、そもそも百貨店にいることが間違いだった。辞める時、僕は本気でそう思っていたが、いま冷静に考えると、会社で働くことが嫌になっていたから、それを自分に正当化するために、それをことさらに考えたところがある。
そもそも、「違和感」ってなんだろう。
そういえば、僕はいつも、どこにいても、どこかに「違和感」を感じていたような気がする。
大学の時も自分で選んでおいて「水産学科」に違和感を感じたし、熱中したホッケーのクラブにも下級生の頃には大いに違和感を感じた。会社を辞めて、アンティークのテキスタイルを商売にしたり、骨董に足を突っ込んだりして、いまは、メインの商材はリサイクルの着物になっているが、その違和感はいつもどこかにあって、綺麗さっぱり消えてなくなることはない。こうやって好きなブログを書いていても、どこかに違和感は残っているのだ。
このコメントを下さった方が感じている「違和感」が、僕と同じようなものなら、どこへ行っても、その「違和感」はついてまわるような気がする。
そうだとすれば、僕のアドバイスは、ひとつだ。
もし、ほかにやりたいことがはっきりと見つかっていないなら、今いるところで、与えられた仕事を、いまの何倍もの熱意をかけて、工夫してやってみたらどうだろうか。よほどブラックな会社でない限り、与えられたことを前向きに全力で取り組むことで、陳腐と思えた仕事も、輝きだす。
それは、僕が経験済みだから、はっきりと言い切れる。
そうやって仕事を楽しめるようになったら、今感じている違和感はどんどん薄くなっていくだろう。完全に消えてしまうことはないだろうが。
もし、彼が違和感を抱えたまま今いる会社で仕事に没頭したことがないのなら、そのまま辞めてしまうのはもったいないと思う。
最大限の経験をさせていただき、楽しませていただけるだけ楽しませていただくほうが、トクではないだろうか。
さて、最初に浮かんだアドバイスはこういうものだったが、ひょっとすると、彼のいる会社は、相当なブラック企業で、そんな綺麗事を言っている場合ではなく、ほんとうはすぐにでも退職したほうが良いかもしれない。
実際、身近の若い方にそういう人がいて、うつ病になっていた。彼女は一刻も早く辞めるべきだったし、そんな人に、「全力で与えられた仕事をやってみろ」というようなアドバイスは何の役にもたたない。
万一、彼がそこまで追い込まれていたとしたら、上に書いたようなアドバイスは、ほんとうに彼を潰してしまうかもしれない。
あるいは、彼にはその会社ではあまり役に立たない能力があって、さっさと転職したほうが、将来のキャリアは大きく開く可能性があるのかもしれない。
その場合も、僕のアドバイスは、その可能性を摘んでしまうことになる。
結局のところ、彼のこのコメントに、なにかほんとうに役に立つアドバイスなどできはしない。
そもそも、僕にしても、若い頃にさっさと辞めていたほうが良かったかどうか、19年の会社勤めで社会的な成功をおさめることができなかったことが本当にただのマイナスだったのか、わかりっこないのである。
僕はあちこちに書いたように、若いころ作家になることを夢見ていた。
簡潔に言えば、19年の会社勤めの失敗は、これからの僕が、それなりのものを書いて認められるようになれば、作家として必要な経験だったんだねということになるし、もし、結局何も書けなくて、また自営の商売も大きくならなず、何も意味のあるものを残せなかったら、19年は取り返しのつかない失敗だったねということになるだけの話である。
だから、僕の書いた「後悔」は、会社員としての「後悔」ではあるけれど、まだ、人生そのものの「後悔」と決まったわけではないのだ。
僕がすべてを諦めたときにはじめて、ホンモノの「後悔」になるだけの話だ。
さて、僕が昔大好きだった、作家レイモンド・チャンドラーの人生を簡単に紹介しておこう。*1
僕らが彼の「成功」から学べることは、たとえば、何ごとも始めるのは遅すぎることはない(彼が最初の小説を書いたのは44才!)とか、大きな失敗をして追い詰められてはじめて天職に辿り着いた(せっかく副社長にまでなったのに、馬鹿なことをして、クビになっている!)とか、歴史に残るような創作をつくるには才能と豊富な体験が必要だったとか、いろいろあるだろう。
だけど、僕がもっとも感じる点は、彼の人生の道行きは、「違和感」を原因に始めた旅ではなく、現時的により良い生活を求めるあがきの連続で、結局、そこに辿り着いたということだ。
社会的な成功のおさめたものの、飲酒に苦しめられ、妻が亡くなってからはうつ病もひどくなり、晩年には、自殺未遂までしている。
あのフィリップ・マーローは、そんなレイモンド・チャンドラーのあがきまくった人生から生み出されていたのである。
- 父はアルコール中毒の土木技師。両親は離婚
- 19才 イギリス海軍本部で公務員の職を得る
- そのころ最初の詩を出版
- 20才 公務員が性に合わず退職。新聞記者となる
- ジャーナリストとして成功せず、フリーライターとして文芸雑誌に書評を書き、ロマン主義の詩を書き続ける
- 24才 安定した職を求めて叔父から金を借りてアメリカに移住。簿記を学ぶ
- 25才 ロサンゼルスでロサンゼルス乳業に就職
- 29才 カナダ海外派遣軍に入隊し、フランスで戦闘に参加。
- 34才 石油会社で簿記係兼監査役として雇われる
- 43才 副社長にまで登りつめる
- 44才 飲酒が過ぎること、常習的な欠勤、女性従業員との不倫などが原因で解雇される
- 大恐慌で経済的に苦しかったチャンドラーは、安くて捨てても惜しくないパルプ・マガジンを読むようになり、そこにあるような小説を書いて小遣いを稼ぐのも悪くないと考える
- 45才 パルプ・マガジン「ブラック・マスク」に中篇『脅迫者は撃たない』が掲載されデビューする
- 51才 処女長編『大いなる眠り』発表
- 52才 長編『さらば愛しき女よ』発表