成功者にとっての同窓会、失敗者にとっての同窓会
釣りの世界には「ヘラに始まりヘラに終わる」と言う言葉がある。
「ヘラ」とは近所の野池などにいる「ヘラブナ」を釣ることで、手軽なことから少年時代にヘラブナ釣りから釣りに入る人も多い。
ヘラブナで釣りの楽しさを覚えると、違う魚を違うテクニックで釣ってみたくなり、渓流へ行ってイワナを狙ったり、波止へ行ってチヌを狙ったり、ボートでガーラ(ロウニンアジ)を狙ったり、はてはカジキ釣りに至る人もいる。
より大きな珍しい魚を求めて、より自然の素晴らしさを味わえる釣り場を求めて、より大きな興奮を求めて、仲間たちに誇れるより大きな釣果を求めて。
その旅は果てしなく続く。
だが、やがて歳をとり、渓流に入っていく体力も揺れる甲板に踏ん張って思いルアーを投げ続ける意志力も失って、釣り人は近所の野池に帰ってくる。
そして、そこで「ヘラブナ釣り」の楽しみの奥深さを、「釣り」そのものの楽しみの原点をもう一度味わうことになる。
大先輩が先日故郷の石川県へ帰って同窓会をされたそうだ。
いまはみな65才前後だけど、若いころはともにデザインを習っていた仲間だ。
その大先輩はデザインの分野でも様々な賞をもらわれた人だけど、その大先輩がとてもかなわないと思う人がいたそうだ。
彼の描くものは周りから突き抜けていて、将来間違いなくオオモノになるだろうと皆に思われていたし、大先輩も彼に負けたくないという一心で頑張ってきたという。
しかし、彼は同窓会の誘いに応じないという。
「おれは、人生の失敗者だ。ずっと田舎にいて、何もできなかった。人生の成功者であるお前らに会いたくなんかない。そっとしておいてくれ」
ということだったらしい。
だけど、もちろん、みんな(といってもとくに仲の良かった数人)で次々に電話をかけて、「そういうな。成功も失敗もあるものか。みんなそれぞれの荷物を背負って、運に翻弄されながら、なんとか精一杯生きてきただけじゃないか。みんなで会って酒の一杯も飲めずに、いったいなんの人生か!」と言ってなんとか誘いだしたそうだ。
そういえば、うちの嫁のお父さんは、お母さんが亡くなって、うちに来てからみるみる認知症がひどくなったのだが、何度も何度も電話をかけてこられて、お父さんの容体をずっと気にしておられたのは、お父さんの学生時代の友達の方々だった。
今、30センチを超えるイワナを狙って、渓流の崖をよじ登っている若者たちよ。
潮風を受けながらトローリングでカジキのあたりを今か今かと待っている若者たちよ。
仲間たちの誰よりも大きな魚をゲットするために、夢中になれ。
誰よりも高い崖をよじ登り、誰よりも長時間竿を出し続けろ。
でも、釣果がどうであれ、いつか歳をとったら、
通いなれた故郷の野池のヘラに帰って来いよ。
そこには、成功も失敗も上も下もない。
昔の釣果なんて誰も気にしない。
40センチを超えるイワナの大物も、ぶら下げて写真を撮ったカジキも、もうこの世には存在しない。
目の前の池にはやっぱりヘラブナがいて、浮きの動きに心臓がバクバクする、あの釣りの楽しみがある。
そこには、本当の友達と奥深い人生のよろこびが待っている。
photo by Theophilos Papadopoulos