続けるべきか、やめるべきか、それが問題だ
photo by markus spiske
続けるべきか、やめるべきか、いつでもそれが問題だ。
何かを達成しようとしたら、どんなことでも、長い時間の努力がいる。
だが、長い時間かければ必ず成功するというわけでもない。
娘の友人の高校時代の友人にお笑い芸人を目指して頑張っている人がいるそうだ。たぶん高校卒業後すぐにその道に入ったから、10年以上経っているはすだ。
芽が出ない。頼まれてステージを見に行くと、かなり弱音を吐いているらしい。
「成功するまでやめない。やめない限り失敗にはならない」という。
あるいは、こんな類の漫画がある。
金を探して穴を掘っている男たちが描かれる。
ちょうどガラスの巣に挟まれたアリの巣のように、ツルハシを振るって穴を懸命に掘り進める男たち。絵を見ているものには、どの穴が金に至るかが見えている。当人たちにはもちろん、穴の先に金があるかどうかは見えない。
印象的に描かれるのは、長く掘った穴を放棄して、うなだれて帰っていく男の姿だ。
そして、その男が掘っていた穴のすぐ先に、金が埋まっていたところが描かれる。男はあと数回ツルハシを振るえば、金に到達していははずなのである。
たしかにそれも真実だ。
心が折れそうになっているとき、そういう話はエネルギーになる。
だけど、真実でないときだってある。いや、その方が多いかもしれない。
ある時、友人がそんな話をしたので、思いっきり反論したことがある。
「失敗するまでやめないって言ったって、病気になるかもしれないし、それまでにお金が尽きるかもしれないし、時間はきわめて限られているから、そんな言葉に意味はない」と。
結局のところ、そこはギャンブルなのかな、とも思うのだが、最近読んだスコット・アダムスさんというアメリカの漫画家の方の本:How to Fail at Almost Everything and Still Win Big: Kind of the Story of My Life にこんなことが書いてあった。
大きな成功を生むようなものは、当初からある要素Xを内在している。
それは、製品やパフォーマンスの「質」ではない何かである。
それは少数の人にしか受け入れられないけれど、熱狂的に受け入れられる。
多くのひとは、当初に目にする「質」の低さに注目して、それが大きな成功にいたることを見抜けない。
アダムスさんは、続けるべきか、さっさとやめてほかのことに取り掛かるべきかは、そのXがあるかどうかを見極めて決めよ、と言われている。
そして、人々の熱狂ぐあいは、けっして、人々がそれについてなんと言うかで判断してはならない、と。どうでしたかと問いかけると、人の回答はあなたが聞きたい答えに無意識に近づいてしまう。*1
だから、人々の行動を見よ、と。行動とは、誰かに勧めたり、Twitterで呟いたり、ダウンロードしたりということで、ともかく、現実のアクションの量を見よ、と。
完全に納得したわけではないけれど、この話は、けっこうすんなり腑に落ちた。
続けるべきか、やめるべきか。
いつでもそれが問題だ。
アダムスさんのこの判断基準にはある程度の妥当性はあるような気がするが、絶対的に正しい判断基準は存在しない。
究極は、自分の生存本能を信じて、嗅ぎ分けるしかない。
How to Fail at Almost Everything and Still Win Big: Kind of the Story of My Life
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