ICHIROYAのブログ

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世界を見渡しているのは、少数の性能のあまり良くない目だ

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                                                                                                    photo by Ichiro(iphoe6)


 どこかに神様がいて、最高の仕事をしていたら、きっとみつけて拾い上げてくれる。
 会社というものは自分の能力を見抜いていて、きっと最適の、もっとも活躍できる場所に自分を配属してくれる。
 いいものさえ作れば、それは自然と人気になり、たくさんのお客さんが使ってくれる。
 面白い人間になりさせすれば、たくさんの友だちが向こうからやってきて握手を求められる。


 僕は生来そのように考えがちだ。
 そして、自分を、自分の仕事を、自分の思いを外に向けて発信し、自分からそういう何かをつかみに行くことが苦手だった。そうしないことが、潔いことだと思っていた。いや、今も、そんなところがあるかもしれない。
 たとえば、会社に入った時、必ず出世してみせると決意していた連中は、会社のクラブに入ったり同じ大学出身の集まりの幹事を買って出たり、あるいは組合活動に身を投じたりしていた。
 いい仕事をしてみせることが大前提ではあるけれど、彼らは、会社というところは、「全能の目」がすべての社員を平等に見ているわけではなく、キーとなる人たちの観察範囲に入り、かつおメガネに叶うことを知ってもらうことが、大きなメリットになることを知っていた。
 20才ちょっとで社会人になったばかりなのに、なんでそんなこと、知ってたんだよ!


 あるいは、毎日のように良く似た製品やウェッブサービス、ウェッブショップが生まれる。良いものをつくれば、自然とお客様が増えるように思い、目前のことに一生懸命になるが、どんぐりの背くらべのような製品やサービス、ショップはたくさんあって、どれがもっとも多くのお客様を獲得して成長していくかということについては、製品そのものサービスそのものの質がすべてを決めるわけではない。
 自分の製品やサービスをうまく売り込んだもの、話題になって一気にお客様を増やしたものが大きく伸びて、結局は総取りになるようなことは、日常茶飯事だ。


 幻冬舎見城さんとサイバーエージェントの藤田さんの本に、『人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない』という凄い本*1があるが、タイトルだけでもとても示唆的だと思う。
 たしかに、そのとおりなのだ。
 どこかで誰かが見てくれてはいる。だから、小さなことでも懸命に汗をかけるし、その人がどんな人間かということは、訊ねられたら答えてくれるだろう。だけど、それが自分のステップアップにつながるかどうか、大きなムーブメントとして広がるかどうかは、また、別の問題なのである。つまり、そのように期待できるほどは、世間は自分のことを、自分のやっていることを見てくれてはいない。

 
 最近、僕はつくづく思っている。
 良いものをつくる。良いことを考えて努力する。それがもちろん大事だけど、自分を前に出すこと、自分からキーマンの観察範囲内に入って行くこと、自分の製品やサービスや技術をもっと多くに人に知ってもらうように努力すること、そのノウハウについて学び活用すること、そういったことも、同じように大事なことなんだと。
 それはかっこ悪いことでも、潔くないことでもなく、せいぜい生きている間に、この世界に良い痕跡を残したいと思えば、ごく当然のことなのだと。
 
 
 世の中に全能の目をもつ神様はいない。
 世界を見渡しているのは、限りのある数の、性能のあまり良くない目だ。
 その目の前に出ていこう、そして気がついてもらえるように、踊ってみようと僕は、思っている。 
 

*1:かなり前に読んだんですが、めちゃくちゃ面白かったですよ!