ICHIROYAのブログ

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謎の縞帳(ここまでやるか、ダマシの手口?)

『縞帳』って、ご存知だろうか。
かつて、まだ経緯絣が一般的出なかった頃、縞模様の綿が、一般庶民の普段着で、農家では農閑期に糸を紡いで綿を織っていたころ。
好きな縞模様の布の小片を集めて、貼り詰めたものである。
持ち主は、それを眺めて、この色合が綺麗で好きだなあ、とか、自分でも、今度は、こんな布を織ろう、と夢想していたのだろう。
たとえば、この縞帳には、慶応元年の年記がある。 
 



綿や、綿と絹の交織(あの丹波布も!)の縞や格子柄の布が丁寧に貼り詰められている。
布のなかには、不規則な形のものもあり、そんな場合も、隣接する布の形を工夫して、それぞれのページが美しい形になるように工夫されている。
持ち主が、どれほどその布たちを愛していたのか、じんと伝わるような縞帳である。
 

 

残念ながら、前頁に布が貼ってあるわけではなく、前からと後ろから貼られて、中程は無地のまま終わっている。
ひょっとして、持ち主は、何年もかけてこれを作っている間に、何か障害が起きて、途中で作成を諦めなければならない状況になってしまったのではないか、と心配になる。
良いものを丁寧に集めて丹念に貼っているそのつくりから考えて、持ち主が、理由なく、途中で放り出したり、飽きて辞めてしまうようなことは、ないだろうと思えるからだ。


ところで、もちろん、こういった縞帳は、魅力的な分、値段もそれなりにする。
何万円もする。


となると、自分でも作れるかも。
古い布を切って貼るだけで、何万円にもなるのなら、簡単に儲かる。
世の中には、そう考えるひとが、必ずいる。
だけど、そのように作られたものには、作為や手抜き、布の時代の不整合などがあって、ちゃんと見れば、たいてい、わかる。
とはいえ、昔はその手のものに、よく騙されてしまった。


もう縞帳で騙されることはないだろうと思っていたが、最近、手に入れた二冊。
時代の年記は「明治三一年」。
そして、それぞれ、その時代に作られ使われていただろうという布が、貼り付けてある。
その時代は、すでに、綿糸の多くは、紡績糸で、「縞帳」としての資料的な価値はさほど高くはない。
また、貼られた生地は大きなものが多く、ほとんどのページは、大きな布が一枚だけ貼り付けられていて、面白みは少ない。

しかし、貼られた布に時代の不整合は見られず、ホンモノと判断して、落札した。


が、出品のために、仔細に見て、変なことに気づいた。
(A)の縞帳は主に型染が、(B)には縞や格子の綿が貼られているのだが、(A)も(B)の縞帳も、同じ筆跡で、ほぼ同じ書式の表表紙と裏表紙を持っている。

(A) 表:「丹波木綿:型染」
   裏:「京都市室町六角下る カ商店 木綿部」
 (B) 表:「手織 縞帖」
   裏:「京都市六角東洞院 キ木綿店 卸問屋」 


なんだか変だ。
店名前が、「カ商店」「キ木綿店」っていうのが、まったくもって怪しい。
どちらにも、「見本帳」とあり、その店が販売している木綿の柄見本として、使用されていたもののように見える。
が異なる店が作って使用していたなら、なぜ、そっくり同じ体裁、同じ筆跡の文字で表紙が書かれているのか。
「カ」「キ」という記号混じりの店名、「丹波木綿」という文字、まったく怪しい。

しかし、どうせ縞帳の偽物を作って儲けようというなら、なぜ、「明治三一年」なのか。
儲けをたくらむなら、せめて明治初期か、幕末以前のものに見えるようにしたほうが良い。
しかも、この縞帳を作った人物は、布の年代の不整合を起こさない程度には、古布の知識を持っている。
それを知らないはずはない。

やっぱり、わからない。
謎の縞帳だ。
どちらか一冊だけ入手していれば、悩むことはなかっただろう。
でも、二冊を並べて見ると、どうしても、作為を感じるのだ。

一儲けをたくらんだ失敗作か、
騙され続けた僕の邪推に過ぎないのか。


悩んでいても答えは出ないので、このまま、正直に事情を説明して、海外のお客様にお譲りした。

古布に興味のないかたには、面白みのない話だったかもしれないけれど、毎日、こんなことにも悩みながら、僕ら裂の骨董屋は、仕事をしているんです。
 

 

 (A)縞帳(型染)



(B)縞帳(縞帖)