無人島にたった一枚のレコードを持っていくとしたら?
さて、グレン・グールドの話である。
言わずと知れた天才ピアニストだ。
もし無人島にたった1枚、もっていくレコードを選べ、と言われたら、グールドのゴールドベルグ変奏曲を選ぶ。
先日、音楽評論家・吉田秀和氏の人生を追ったNHK特集を見ていて、ちょっと書きたいと思ったことがある。
グレン・グールドは、早熟の天才。
3才で母からピアノの手ほどきを受け、7才でトロント王立音楽院に合格、14才で、最年少で最優秀の成績で卒業。
1955年のアメリカの初演で「いかなる時代にも彼のようなピアニストを知らない」と高い評価を受ける。
翌年、最初の「ゴールドベルグ変奏曲」が録音、発売され、一気に人気がバクハツ。
驚いたことに、そのグレン・グールドが日本に紹介されたとき、日本の批評家たちは、酷評をもって迎えた、というのである。
ひとり、吉田秀和氏を除いて。
この事実が、まだ飲み込めないのだ。
それまでのクラッシックの演奏の常識からいえば、トンデモ演奏であることは間違いない。
しかし、その素晴らしさは、だれの胸だって撃ちぬくはずだ。
事実、アメリカでは、発売当初、クラッシックながら、ルイ・アームストロングの新譜を抑えて、ヒットチャートの一位を獲得しているのだ。
しかし、クラッシックの評論家たちは口を揃えて、酷評した、というのである。
信じられない。
しかも、すでに、アメリカの有力批評家は、こぞってグールドによる新しいバッハの発見に沸き立っていたのである。
日本の批評家たちにその声が届かなかったわけでもあるまい。
それなのに、日本の批評家たちは、グールドは異端、徒花に過ぎず、ゲテモノとの烙印をおしたのである。
いつもはその意向を神のお告げのごとく頂戴するくせに、珍しくアメリカの大御所批評家たちに反旗を翻したのだ。
まったくもって、批評家、評論家というものは、アテにならない。
アテにならないにしても、限度というものがある。
真に革新的なものは、凡百の評論家・批評家たちは、否定してかかる。
それは、わかっている。
だから、多くの革新的な芸術家は、その評価を得ることが、死後になってしまうのだ。
それにしても、この件は、想像できる限度を超えているのである。
当時、僕は、小学校1年生。
残念ながら、家にはまだ、ステレオもなく、クラッシックの評論界にモノ申すチャンスはなかった。
しかし、当時の僕に、誰かが、ゴールドベルグ変奏曲のレコードを与えたくれていたら、クラッシック評論界にあって、吉田秀和氏の大きな援軍となったことは間違いない。
ICHIROYAブログを毎日読みに来ていただいているあなた。(ありがとうございます!)
たしかに、あなたは、「現時点」では、少数派です。
ふふふ~でも、ひょっとしたら、将来、大化けするかも、です。
だって、いつか、吉田秀和氏みたいなひとが現れて、「ICHIROYAブログはブログ界のグレン・グールドだ!」って言ってくれるかもしれないじゃないですか!
吉田秀和氏に黙祷。

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