ICHIROYAのブログ

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ビバ!第三の人生(ウタマロ長襦袢博物館計画)

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個人事業主なので、幸い、定年はない。
しかし、やっぱり、憧れはある。
第二の人生に。
いや、僕の場合は、会社人だった時が、第一。古着屋のいまが第二。
だから、引退するとしたら、それは、第三の人生になる。

しかし、この第三の人生を考えるとき、やはり、理想のモデルは、伊能忠敬である。なにごとも、知っているようで、知らないので、Wikiのページ「あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編(文芸ジャンキー・パラダイス)読ませていただき、いまさらながら感動した。

ご存知のとおり、伊能忠敬は、家業を引退してから、日本全国を歩き、史上初めての正確な日本地図を作った偉人なんだけど、いま、あらたに驚嘆の念を深めた点は、

・長男に家督を譲って隠居したのは、50才のとき。それから江戸に出て、天体観測や測量の技術を、寝る間を惜しんで学んだ。

地球の大きさを測ってみたい一心で、北海道の測量を幕府に申し出た。

・それは、私財を投じて、行われた。測量の腕のたしかさにを認めた幕府は、彼に全国の地図の作成を命じ、国家的事業となって、地図は完成させられた。

ぼんやりと、「忠敬は、日本の正確な地図をつくるという志のために、家業を譲って、日本全国を歩き始めた」と思っていたのだけど、実際は、好奇心の導かれるままに、突き進み、地図の作成は、北海道へ足を踏み入れるための方便だったそうだ。

そう聞くと、忠敬がますます好きになる。
忠敬の頭のなかには、「日本のために正確な地図を」という聖人のような香りのする志より先に、「世界的に科学の疑問の焦点のひとつである、地球の直径を測ってみたい。天文学の第一人者である師匠ですら、その実現性を一笑にふす。だからこそ、自分の考えたやりかたで、測ってみたい、地球の直径を」という、強烈な好奇心があったのだ。

地球は丸い、と言われても、宇宙船の画像を見ることができない時代だ。
きっと、忠敬は、自分が踏みしめている地面が、ゆるく湾曲しており、大きな球になっているという不思議さを、星を観察するより、もっと直接、実感したくて仕方がなかったんじゃないかな、と思うのである。

ところで、忠敬は、商売人としても、大いに成功し、財をなしたようである。
しかも、天明の大飢饉では、私財をなげうって地域の窮民を救済したらしい。
この「日本でもっとも正確な地図をつくる」という国家的事業も、その契機は、忠敬の私財でスタートした、ということも考えさせられる。
私財を投げうってでも、やるべきことをすれば、国や周囲がそれを応援する、ということだ。
ま、もちろん、そのまえに、投げうつといえるほどの私財を、蓄える必要があるのだけど。

忠敬のことは、こうして、ちょっとWebで調べたことだけでも、とても興味深く、いずれ、まとまった本などを読んでみたいと思う。


ところで、偉人の話ではなく、自分の話。
きのうの晩御飯のとき、嫁や長女と、引退後どこでどう暮らすか、という話になった。

長女は、富士吉田に嫁ぐので、山梨においでよ、という。
嫁は、それもよい、どこか、田舎へ引越しして、畑仕事しよう、という。
おい、ふつう、それは、旦那が言い出して、嫁が反対し、離婚!ってことになることだろう。
たしかに、毎日、畑仕事をしたら、最後まで、健康に暮らせるかもしれない。
いや、しかし、どうせ田舎に住むなら、僕は、猟師がいいな。
あ、やっぱり、鹿を撃つのは、かわいそうだから、無理。
川漁師にでもなろうかな。


いや、待って、富士吉田にある山中湖のあたりは、これから中国からの観光客がわんさか増えそう。
そうだよ、あの富士山の景色と、洋風な避暑地の雰囲気。
ぜったい、増えるわ。
そうだ、あそこに、着物博物館をつくろう。
あ、そしたら、わたし、受付に座って、入場料300円づついただくわ。
でも、一日何人、来るかな。30人だったら、9000円にしからないわ。
じゃ、秘宝館みたいにしたら?
ウタマロ長襦袢博物館とか?
それ、いいかも! 人形つくって、赤い綸子の襦袢を着せたり。

・・・・・・・(どの台詞を誰が言ったかは、マル秘)

  


第一の人生、第二の人生は言わずもがな、

そして、第三の人生も

偉人との落差は、かくも激しいものなのである。

 

(写真は ウキにとまるトンボの夏着物)