ICHIROYAのブログ

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山岳パトロール隊員だったころ(人の期待を裏切るプロ)

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山岳風景 訪問着仮縫


ひとびとの期待を裏切ることに関しては、人生50年、相当のキャリアを積んだ僕だ。
親の期待を裏切り、嫁の期待を裏切り、チームメートの期待を裏切り、上司の期待を裏切り、そして、自分自身の期待を裏切り、生きてきた。
なかでも、とっておきの事件を紹介する!

大学1年の夏休みのこと。
日本アルプスの山岳パトロール」というアルバイトをやならいか、という話が回ってきた。いまとなっては、応募要件も忘れてしまったが、山岳部の友人にきたアルバイトを回してもらったのかもしれない。体育会(アイスホッケー)で死ぬほどしごかれていたこと、中学生のころ一時登山に凝って、近畿の山をたくさん登ったことで、絶対の自信があったらしく、そのバイトに行くことにした。

パトロールの基地となっている高山までヒッチハイク。
到着して初めて、「山岳パトロール」という言葉は、「登山路の清掃」という意味とわかる。
リュックのほかに、籠をしょって歩き、登山路のわきに捨てられた空き缶などを拾うという。
たしかに、「山岳救助隊」は消防の、「山岳警備隊」は警察の、遭難者の救出をする組織であるが、「山岳パトロール」という言葉に、明確な概念はない。

監督は、なんとものんびりした人である。
高山に到着してしばらくは、天気だか、誰かの到着を待っているかで、ただただ、寝ていていいよ、と言われる。
世に、こんなに楽なアルバイトがあってよいものかと、日本アルプスの偉容を眺めて数日を過ごす。

そして、出発の時がきた。
腕には黄色い腕章を巻き、そこには、「山岳パトロール」の文字が。
誇らしい思いでそれを巻き、リュックと、さらに、あまり嬉しくはないゴミ入れの籠をしょう。
僕ら数人のパーティは、監督にしたがって日本アルプスの登山路に足を踏み入れた。
実際に歩いたルートは忘れてしまったが、登山者で賑わう、日本アルプスを、山小屋に泊まりながら、奥穂高岳槍ヶ岳などと縦走する。

さすがに相手は日本アルプス、六甲山や比良山とは格が違う。
体力に自信があったはずの僕も、監督についていくのが必死。
一歩踏み間違えると、奈落の谷。
錆びて抜けそうなチェーンに体を預けて、岩場を登っていく。

夕刻の少しだけ早い時刻にある山小屋に到着して、今日は、もう終わりという雰囲気になっていたとき。
小屋の主人が、「おまえら、プロやろ?もう、終わり?」と監督を挑発。
あとで知ったことだが、どうやら、同じようなゴミ拾いのパーティーは長野県でも組織されており、岐阜の高山からくる我々のパーティーより、長野県の松本からくるパーティーの方が、俄然よく働く、ということになっており、その小屋の主人は怠け者の我々高山チームを苦々しく思っていたのである。
結局、監督に命じられて、僕らはいったんは降ろしたリュックとゴミ籠をしょい、尾根のもうひとつ先の頂上まで往復することに。
さすがに、体力に自信のあった僕も、ふらふらになり、とくに闇が迫ってきた帰路では、ゴミを拾うどころの話ではなく、太股ががくがくと震え、尾根から転落するかも、という恐怖と戦いながら、なんとか怖い主のいる山小屋に辿りついた。

はい、たしかに、僕は、「山岳パトロール」として日本アルプスにいて、給料ももらっております。
山小屋の主の言うことは正論です。
が、賃金の対価としてやらせていただいている仕事ですが、「プロ」といえるかどうかは、論議が必要です。

わかっちゃいるけど、なりゆきでたまたま、僕はここにいるのだ。
松本隊に負けようが勝とうが、僕の知った話じゃないのだ。
なにせ、将来のある若者だった僕である。
松本隊に勝つよりも、生きて帰る必要があるのだ。

そして翌日のこと。
有名な難所の大キレットを歩いているときに、怪我人に出くわした。
途中、すれ違う登山者たちが、「もうすぐです。ご苦労様です!」などと声をかけてくるので、いったいなにごとかな、と思ってはいたのだ。
対面ですれ違う時、「山岳パトロール」の黄色い腕章は目に入っても、背中にしょっている、空き缶でいっぱいのゴミ籠までは見ない。

嫌な予感。
まったく、嫌な予感。
そのまま歩き続けると、やがて、細い尾根路に、ひとりの登山者が横たわっているのが見えた。
足にタオルのようなものを巻いており、そこに血がにじんでいるように見える。
落石を足に受けて、骨を折ったのか。

「おい!がんばれ!よかったな!救助隊が来たぞ」

付き添っていたひとが、僕らの黄色い腕章を見て、怪我人に叫んでいる。

さすがに、監督は、そこで立ち止まって、すこし躊躇した。
が、誤解を解かないまま引き返すわけにもいかない。
監督は、そして、僕ら軟弱「山岳パトロール高山隊」は、意を決して、歩きはじめた。

すみません、違うんです、すみません、違うんです、

監督をはじめ、僕らはそう言って、遭難者と介抱のひとびとのすぐそばを通り過ぎるしかなかった。
僕は、籠と空き缶がよく見えるように、背中を向けて歩いた。

その場で介抱していたひとたちの視線は、あの山小屋の主と同じ鋭さで、僕らを貫き、僕らの誇りを粉々に打ち砕いたのだった。

そう、世の中のひとは、他人に勝手なイメージをはりつけて期待し、その期待が裏切られたからと言って、非難するのが得意なのだ。

ぼくらは、あの評判のよい松本隊ではなく、そもそも「山岳救助隊」でも「山岳警備隊」でもない。
遭難者を助けるのではなく、ほかの大きな使命を授かって、こうして、山を歩いているのである。
「山岳パトロール」などという、紛らわしい黄色の腕章をつけていることは、お詫びしないといけないかもしれないが。

周囲の期待を裏切り50何年かを生きてきた僕であるが、このときの体験ほど、理不尽にも僕らに降りかかった期待はない。また、かくも鮮やかに大きな期待を裏切ったこともない。

世はかくも理不尽である。

ちなみに、僕らはそのあと、すぐに、県警の山岳警備隊員とすれ違ったので、怪我をしたその登山者のかたは、その後すぐに救出されたはずである。


あ!
でも、僕らICHIROYAは、絶対に、絶対に、皆さんの期待を裏切りませんから!
こんな話をしても、見捨てないでくださいね!