インドかもねぎ旅行
刺繍をするインドグジャラート州の女の子たち
2年前に、20数年ぶりにインドを訪れた。
アーメダバードにあるキャリコ博物館の古い更紗を見ること、グジャラート州などを訪れ、染織品の現状を見ることが目的。
20数年前のバックパックを担いだ一人旅とは異なり、今回は、旅行会社にお願いして仕立ててもらったシニア夫婦の大名旅行。
どうせ海外に行くなら北欧に行きたい!と、乗り気でない嫁を強引にひっぱっていく。
で、どんな旅行になったかというと、まさに「かもねぎ旅行」。
パキスタン国境近く。入域するにも警察で許可証をもらう必要があるような、インド西方の辺境。
荒野や畑、牛を見ながら一本道をコトコト行った先にある部落では、写真のような女の子が。
家に入れてもらうと、きらびやかな民族衣装を身にまとったお母さんが現れ、次から次へと刺繍やミラーワークの布を広げてくださる。
それと似たのは、さっきの家ですでに買ったよ、とも言えず。
何も買わずに帰るわけにもいかず、山と積まれた布から、2,3枚選んで買う。
ああ、やっと終わったかと思って家から出ると、今度は、娘さんらしき女の子が、腕をひっぱり、
「ねえ、私のも見て」
仕方なく、彼女の部屋に入り、また、一から刺繍とミラーワークの布が積まれるのを見ていく。
染織品を「見に行く」ツアーを組んでもらい、ガイドさんにも、「買わなくてもいいんだよね」と確認し、「あたりまえ。それはあんたの自由」と言われてはいるものの、買わない決断ができる状況ではない。その村の家族も、「かもねぎ」が来る!と数週間前から準備していたに違いなく、ふだん着ない民族衣装をわざわざ着込んで、いまかいまかと「かもねぎ」を待ち構えたいたのだ。
辺境も辺境の、ほかに現金収入などほとんど見込めない村である。値切り交渉も甘い、日本人のかもねぎが来るとなると、家族のテンションも最高潮になろうというものだ。
そんなかんじで、カネも落とせば、現地の経済にプラスにはなろうと、行く先々でかもねぎを演じ、似たような刺繍の布ばかりで荷物は膨らみ、持っていったドルはどんどん少なくなっていった。
もちろん、いい面もあった。
庭には孔雀が放し飼いされている、キャリコ博物館には、アーメダバード滞在中に3回訪れて、古い更紗、豪華極まる金更紗などを堪能した。
現代の染織の工房のなかでも、型押しの更紗をつくっている工房は見る価値があった。
そしてカレーである。
美味しい、美味しい、と嫁は食事のたびに超ゴキゲンである。
インドは先輩で、自信満々だった僕だが、なんと、3日目ぐらいから、熱と下痢がとまらない。
とても、食べるものの味をうんぬんできる状態ではなく、なんとか栄養をとって、ちょっとでも時間があるとホテルのベッドに寝転がる体たらくである。
ガイドの車に乗せられて、つぎのかもねぎ地点に連れていってもらうとき、一番の関心事は、「どこでトイレ行こか~~あ~~もつかな」であった。レストランでトイレに入ろうにも、インドの辺境の地のトイレである。
そこに、日本の高速のSAのトイレのような安息はないのである。
ところで、ホテルのレストラン。
メニューがさっぱりわからないので、白い服をパリッと着こなしたボーイを呼んで、説明してもらい、注文する。
満面の笑顔。「マダム、了解しました」
で、延々と待たされた挙句、注文した料理3品は全部、注文品と異なっている。
もちろん、あきらめてそれを食べるが、嫁によると、それもおいしいから、OK。
そのあいだ、少し離れたテーブルの下で、屈んで床を掃いている青年がいる。
素足に粗末なサンダルを履き、テーブルの下を屈んで移動しながら、箒をワイパーにように動かす。
何度も何度も同じところを掃いている。
数人いる白い服を着たボーイたちは、自分たちの話に忙しく、その青年に、一瞥も与えない。
僕が目を離したら、まるで彼の存在そのものが、この世から消えてしまいそうだ。
彼は、かって、「不可触民」と訳された「ダリット」か、「スードラ」に属し、こうやって毎日そのホテルのテーブルの下で暮らしているのだろう。
「最下層のカーストに生まれても、意欲と能力があれば、社会的な成功を収めることができますか」とガイドさんに尋ねた。「マイクロクレジットなどもあって、最近は、インドの貧困層も変わってきたと聞いてますが」
「インドは広い。簡単には変わらない」それが答えだった。
ところで「スラムドッグミリオネア」にぶっとびませんでした?
インド独特の美の様式とシネマのもつ物語のチカラを高い次元で融合させた、傑作でしたね。
久しぶりに、いままでの映画とはまったく違う楽しみを堪能させてくれました。
でも、あの話は、特異な少年の物語か、実際にあったとしても、昔の話、と思ってみませんでしたか?
僕らがムンバイを訪れていたときも、いままさに今日も、子供たちが手足を切断されたりして、物乞いをさせられている、それが過酷なインドの現実です。その数も年間数百人にものぼるそうです。
こちらに英文の記事があり、日本語に訳されたものがこちらにあります。
それにしても女は強い。
いや、嫁が強いのか。