東芝の不正会計について思うこと
まったく暗澹たる気分である。
東芝の不正会計の件だ。
僕は上梓させていただいた本で、「まずは成熟した組織人となれ」と満身の力を込めて書いた。
僕が18年お世話になった会社は、ほかの会社と同様なさまざまな小さな問題はあったにせよ、根本では信頼できる会社であった。
そこで成熟した組織人となることは、けっして人間として正しく成熟することに反しなかった。
僕はそうなれずに会社を辞めてしまった人間だが、振り返ってみてそう信じている。
しかし、日本を代表する東芝という企業で成熟した組織人となろうと努力した人たちはいったいどうなったのだろうか。
ひとりの社長の間だけではない。3人の社長の間、同じように不正会計を求められたのである。
社員の中にはそれを知らずにすんだ人も多くいるだろう。
だが、不正会計と知りながら、それを強要されていやいやそうした人もいる。
あるいは上司の気持ちを忖度して、積極的に不正会計に手をかした社員もいる。
また、その不正を証券取引等監視委員会に匿名で通報した人もいた。
上司の気持ちを忖度して大きな利益を不正に捻出した人は、経営陣から大いに認められただろう。それによって昇進したかもしれない。
もし、不正と知ってそれを拒んだ人がいるとすればどうなっただろう。
そもそも、不正を拒むことができたかどうか、さだかではない。
しかし、もしそういう人たちがいれば、上司から疎まれ出世コースからはずれてしまったかもしれないと、容易に想像できる。
そして、こうやって組織ぐるみの不正が表に出てしまうと、不正会計に積極的に手をかした人の将来に明るいものはなくなってしまった。
不正会計を拒んで傍流に外れてしまった人は、まだましだが、それで即、薔薇色になったというわけでもないかもしれない。
不正会計の始まりが2008年だとしても、すでに7年以上経っているのである。
そういう人たちはすでに転職してしまっているかもしれない。
あるいは、働き盛りの数年間に干されてしまい、ビジネスマンとしてのたいせつなものを枯らしてしまった可能性もある。
連結の従業員数は二十万人。
3人のトップはいったい何人の人たちの可能性を摘んでしまったのだろうか。
僕はその人たちが憎くて仕方がない。
東芝の従業員の方々には、新しいトップのもとで、生まれ変わって欲しいと思う。
会社という組織はトップ次第でどのようにでもなる。
とんでもない目標を押しつけられ、不正会計を強要されてきた気持ちは、当事者にしかわかるまい。僕は社員の人たちの不幸に深く同情する。
多くの経営者、とくに目標達成や自分の名誉をすべてに優先させている経営者には、自分の足元を見直すことを切に望みたい。
会社というところは、自分の都合で簡単に首を切り、しかもトップの名誉のために不正なこともしなければならないところであるという認識が広がれば、人々の会社に対する忠誠心はさらに薄れていくだろう。
そういう会社にいて、どうやって働く人たちはモチベーションを維持できるだろうか。
会社に寄りかからず、自立して生きる。
いざというときには、会社を去ることができるようにスキルを磨く。
もちろん、それがもっとも大事だろう。
多くのビジネス書がそういう意図で書かれている。
それでも僕があえて「成熟した組織人となれ」と書いたのは、多くの会社はその根本で信頼できるし、仮にリストラやむなしとなっても、組織で必要な人間になっていれば、リストラを免れることができる可能性があると思っているからだ。
会社が頼れないからといって、ほかに良い仕事があるかもしれないと中途半端な気持ちで仕事をしていると、その会社に残れる可能性すら失ってしまう。
僕は先の本で「成熟した組織人となれ」と書いたが、次の本では「独立して自分の生きる場所をつくる方法」を書こうとしている。
矛盾すると思われる人もいるかもしれないが、働き方が激変したといわれる今でも、成熟した組織人となって会社にとどまって生きることも、辞めて自分の居場所をつくることも、どちらも正しいし、どちらが上とか下ではなく、それぞれの個人がそれぞれの資質や事情で選べばよいと思っている。
東芝という日本最高の会社でこんなことが起きた。
残念ながら、あなたの会社でもそういうことは起きるかもしれない。
だがそれでも、この日本を支えている会社員の人たちには、冷徹な目で経営陣を見据えながらも、会社を信じることを諦めないでいて欲しいと思う。
そして、どうしても信じることができない状況になったら、ぜひ、勇気をふるいおこして欲しい。
photo by FAISAL HAMADAH