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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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1970年代後半に聴いた懐かしの洋楽リスト

 若かりし頃、僕はどんな音楽をどんな時系列で聴いていたのか、ちょっと興味が湧き、それぞれの年の僕の年齢と所属、世間の大きな事件とその頃好きだった曲をまとめてみた。
 同世代の人には懐かしい内容かと思うが、若い人に興味があるかどうかはわからない。

 

1976年 昭和51年 17才 高校3年生 ロッキード事件
*”We are all alone” ボズ・スキャッグス  
 
 
 ボズ・スキャッグスの名作アルバム「シルク・ディグリーズ」を聴きまくったのは大学生になってからだったが、アルバムの発売はこの年。
 高校3年の僕は彼を知りもしなかった。
 まだ、キスもしたことのない僕には、ボズ・スキャッグスの世界は完全に遠い「大人のひとたち」の世界。知っているのは、せいぜい、”木綿のハンカチーフ”(太田裕美)まで。真っ赤なボロのジェミニの助手席に女の子を乗せて、”スロー・ダンサー”(ボズ・スキャッグス)を流すようになるのは、まだ数年先のこと。
 ちなみに、ビルボードの年間ヒットチャートのNO1は、ポール・マッカトニーのウィングスのこの曲だった。

*”Silly Love Songs” ウィングス


1977年 昭和52年 18才 卒業・浪人 王貞治756号本塁打(ハンク・アーロン本塁打記録を抜き世界一となる)  

”今夜決めよう” ロッド・スチュワート 


 
 ロッド・スチュワートがとにかくカッコ良かった。髪型を真似たこともある。そういえば、浪人時代に通っていた予備校に、ロッド・スチュワートみたいなヤツがいた。裕福で、シーズンごとに好きな服を買う時、いつも2枚づつ買うということを聞いてひっくり返った覚えがある。それに、彼女と別れたいが、別れるなら死ぬと言われて困っているという話も聞いた。彼、今頃どうしてるかな。歯医者さんの家の息子だった。
 ちなみに、一番聴いた「セーリング」は、2年前の1975年にヒットした。

”伝説のチャンピオン” クィーン

 
 クィーンは友達のなかでも好き嫌いが別れた。僕はあんまり好きなほうじゃなかったけど、フレディ・マーキュリーの前歯には強い親近感を覚えた。女性の友達(いたのか!?)はみんなクィーンが好きだったような気がするが、いっぱしの批評家ヅラしたロック大好き友達は、あまりクィーンを評価していなかったような・・


1978年 昭和53年 19才 大学1年   日中平和友好条約調印。成田国際空港開港。
*"ナイトフィーバー” ビージーズ


 映画「サタデーナイト・フィーバー」の日本公開はこの年。ビージーズの”Stain'Alive"などもこの年大ヒット。
 もちろん、僕はイケてない大学1年生で、学校にはいけず、アイスホッケーの防具を担いで自転車に乗り、リンクの上でも無様な格好ばかり晒していた。ちまたではディスコが流行っていたはずだが、完全に遠く無縁な存在。

 ところで、この年には、エリック・クラプトンの「スローハンド」もリリースされている。熱狂的なクラプトンファンだった僕や多くの友達が、「461オーシャンブルーバード」について好きだ嫌いだ日和った・・などと喧々諤々していたのがこの4年前の1974年。「スローハンド」からは”Lay Down Sally”や”ワンダフルナイト”のヒットが出た。この頃には、僕らの耳はやっとクラプトンに追いついて、ギターの神様として求道的なクラプトンを求めるのではなく、リラックスしたクラプトンも楽しめるようになった。

*”Lay Down Sally” エリック・クラプトン

 
 ところで、僕らの世代はビートルズ派かストーンズ派か分かれていたような気もする。僕も大学生になるまで、ストーンズはもうひとつわからないなと思っていた。
 ストーンズが好きになったのは、Tくんというストーンズ狂いの友達のおかげだが、この年の大ヒット”Miss You"がその扉を大きく開いてくれたことは間違いない。エキセントリックなTくんは、飲むと時々走りだして、「お前らなんかみんな大嫌いじゃ!」と叫んだ。いま、塾の先生になって子供を指導している。


”Miss You" ローリング・ストーンズ
 

  
 ところで、僕らの世代は好きな女の子に、オリジナルのテープを作ってプレゼントするということをしていた。女の子にテープをつくるときに、ストーンズとかクラプトンはちょっと相手によるところがあったが、当時、安心の定番があって、それはビリー・ジョエルだった。彼の大ヒットアルバム「ストレンジャー」は前年の1977年9月の発表だけどビルボードの年間ヒットチャートにこの曲が入っているのは1978年。
 たぶん、僕もこの年ぐらいによく聴いていたんじゃないかと思う。

*”素顔のままで” ビリー・ジョエル


 


1979年 昭和54年 20才 大学2年  イランイスラム革命による第二次オイルショックインベーダーゲームが流行

*”My Sharona" The Knack 

  

 
 この年のビルボードのヒットチャートを見てもあまり思い出の詰まった曲はない。
 最大のヒットとされているのは、この「マイ・シャローナ」だが、さほど好きにはなれなかった。
 しかし、邦楽のヒットリストを見ると、懐かしい曲がずらりと並んでいる。どうやら、それ以前の洋楽中心から邦楽中心へ、僕らの聴く対象が変わってきた節目の年だったのかもしれない。
 この年の邦楽のヒット曲は、”ガンダーラ”(ゴダイゴ)、”YOUNG MAN”( 西城秀樹)、”チャンピオン”( アリス)、”いとしのエリー”( サザンオールスターズ)、 ”HERO~ヒーローになる時、それは今”( 甲斐バンド)、”アメリカン・フィーリング”( サーカス)、”セクシャル・バイオレットNo.1”( 桑名正博)、”燃えろいい女”( ツイスト)、”虹とスニーカーの頃”( チューリップ)などがあり、思い出深いものが多い。

 

 1970年代後半から1980年代に僕が好きだった音楽をまとめてみようと思って書きだしたが、1970年代で時間切れとなった。
 また、気が向けば、1980年代に好きだった曲をまとめてみようかと思う。

 

*参考 wiki 昭和