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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

★★★当ブログはじつはリサイクル/アンティーク着物屋のブログです。記事をお楽しみいただけましたら最高。いつか、着物が必要になった時に思い出していただければ、なお喜びます!お店はこちらになります。★★★


背筋に震えがきたサクセスストーリー

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 きっとみんな知っている話なんだろう。
 僕は世界的に高名なシェフ松久信幸氏のサクセスストーリーをどこかで読んだことがなかったから、今朝、Incの記事でその概要を知って、背筋に震えがくるほど感動した。
 きっと、テレビなどでも何度も紹介されて、広く知られていることなのだろうけど、僕のように知らない人もいると思うので、その記事とWikiのページから簡単に紹介してみたい。

・小学校1年生の時に父親を交通事故で亡くす。
・高校卒業後、新宿の寿司店で7年間修業。同店の常客であった日系3世のペルー人実業家の誘いにより、24歳でペルーに渡る。
・ 共同経営で、ペルーに日本食レストランを開業。ペルーには生の魚はあったが、日本で手に入る調味料などはなく、現地のオリーブオイル、ガーリック、チリペーストなどを使った新しい料理を創作する。自身ではそれを、”courageous food”( 勇気ある料理)と呼んでいた。
・経営方針の相違からおよそ3年で同店を去り、アルゼンチンにうつる。
・アルゼンチンには生の魚がなく苦戦。やむなく日本に帰る。
・日本の知人がアラスカで寿司職人を求めているという情報をくれる。妻にもう一度、自分の料理を海外の人に食べて欲しいという思いを伝え、妻の了解を得る。
・そのため、南アメリカでつくった借金の上に、さらに15000ドルを友達から借りることになる。その店を何が何でも成功させなければ人生詰むという覚悟でアラスカに渡る。
・しかし、開店してしばらくのち、店が火事で全焼。妻と二人の娘を日本に返し、自分は自殺の方法まで考えることになる。
・そんな時、友達がロサンゼルスの6席の小さな寿司店で働いてくれないかと誘いを受ける。
・6年半、彼はその小さな店で、ペルー料理と日本料理の新しいフュージョンスタイルを磨く。
・1987年、親しい友人が70,000ドルを投資してくれ、ビバリーヒルズにMatsuhisaという店をオープンする。
ロバート・デ・ニーロがその店の常連となり、ニューヨークに共同経営の店をつくってくれないかと彼に頼む。が、彼は、まだ早い、ここで突き詰めるものがあると言って断る。
・1年後、またデ・ニーロに誘われるが、彼は再度断る。
・デ・ニーロのオファーから4年後、店はブレイクし、マスコミ取材や予約の電話の嵐となる。「そろそろ、ニューヨークに行くタイミングだよな」デ・ニーロの三度目のオファーを、ついに彼は受ける。

 その後はご存知のとおりトントン拍子で、ドバイ、ケープタウン、マニラ、メキシコシティブダペスト、モスクワ、などに店をつくり、東京にもある。
 
 失敗につぐ失敗。
 やると決めたら、それでも打って出る勇気。
 急ぎ過ぎない、ゆっくりとした、でも確実な進歩のための長い時間。
 そんな彼が窮地に陥ったときに、かならず差し出されてきた友人たちの救いの手。
 
 ペルーにはない食材や調味料を、現地のもので置き換えて工夫することが、彼の今の成功の原点だ。
 ただし、成功のために置き換えることができないものがあった、と彼はIncの記者に語っている。

 それは、Kokoroだと。

www.inc.com

 

*個人のブログです。取材をしたわけではなく、Incの記事とWikiから書いたものに過ぎません。その範囲でお楽しみいただければと思います。

 

photo by Nobu Matsuhisa