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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

★★★当ブログはじつはリサイクル/アンティーク着物屋のブログです。記事をお楽しみいただけましたら最高。いつか、着物が必要になった時に思い出していただければ、なお喜びます!お店はこちらになります。★★★


Death Cafe(「死のカフェ」)行って話したいこと、見せたいもの

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 先日の記事のなかに、「幸い54才の現在まで、大病なく生きてきた。おかげで、自分が授かったDNAで何ができるか、色々なことを試す時間があった。生物界の一成員としては、それで充分与えられた使命を果たしたような気がしている。 いつ死んでも、悔いはない」と書いたら、思わぬブクマコメントをもらった。

 「いつ死んでも悔いはないと見栄を張ることがおっさんになるということなのかな。悔いがあっても死ぬというところにしか人間の尊厳は無いと思うけどね。人間の業が心底深いってことくらい知っているだろうに」

 で、「いつ死んでも、悔いはない」というのは、僕が、見栄をはって書いたことなのだろうか、と考えこんでしまった。

 もちろん、前提として、死に至る過程の苦しみは怖い。
 それを無視して考えて、僕の本心は、「悔いがあって死ねない」なのに、見栄をはって、「いつ死んでも、悔いはない」と思っているのだろうか。

 ひとのことはわからない。
 でも、僕の精神状態も、時によって、様々に変化している。
 「死んでしまいたい」とぼんやり思うこともあったし(自殺をリアルに考えるほどではない)、「◯◯をするまでは、まだ死にたくない」と強く思っていたこともあった。
 でも、その流れでいうと、やっぱり、今の心境は、「いつ死んでも、大きな悔いはない。仕方ないか」であって、見栄とは思えないのだ。
 もちろん、死ぬのは怖い、とくにその苦痛が。

 だけど、万一の時を考えて、もっとも影響を受けそうな、嫁にはそれなりのことをしている。
 僕が死んで、会社をたたんでも、嫁には充分なお金が残るように、保険に入っている。
 急に死んだらどうするか、嫁には何度も伝えているし、それをノートに書き留めてある。もちろん、そこに商売のせいで分散している資産の詳細やIDなども記してある。
 そういえば、一時、たくさんたまったDVDも、処分してあるので、遺品を整理してたら変なDVDがたんまり出てきた!なんてこともないようになっている(あっ!そういえば、まだ数枚残ってるな!処分しなきゃ!)

 娘たちは成人しているし、長女はすでに嫁いでいる。
 万一のとき、一番申し訳ないと思うのは、老いた両親のことだが、締まり屋の両親はちゃんと貯金があるようだし、そもそも、僕には妹もいる。
 もちろん、会社のみんなには申し訳ない。新しい仕事を探してもらわなければならないが、ほかに就職がまったくないといいうわけでもないだろう。

 そう考えると、やっぱり、業のような、悔いがあって死にたくはない、というような思いが、僕の「見栄」の奥に隠れているとは思えないのだ。
 もちろん、それは、僕が、死というものをリアルに考えていないから、そのように思うだけで、現実に「死」を目前にすると、その業が僕の芯から立ち上ってきて、僕の頭を支配するのかもしれない。
 しかし、それは、そのときになってみないとわからない。

 そういえば、僕のおばあちゃんは、85才ぐらいで癌で亡くなったが、告知もしなかったので、最後まで、死が近づいているなんてことは、想像もしていなかったようであった。
 ひょっとしたら、僕の中にも流れている、おばあちゃんの血が、最後の最後に、僕の中でも目覚めるのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、Death Cafe(死のカフェ)という活動をされている方がイギリスにいて、その活動が世界に広がりつつあるということを知った。

 それは、コーヒー・紅茶、そしてケーキを食べながら、「死」について話しあう小さな会を開催するもので、すでに世界中で450以上の会が行われた。
 ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、そして韓国でも行われたようだ。

 いくつかのルールがあって、

*話しの結論として、どんな解決、商品、団体への勧誘も行ってはならない。
*身内やたいせつな人を失った方のカウンセリングを目的に行ってはならない。
*お茶やコーヒーに栄養のある食事、そして、ケーキを提供しなければならない。

 ということらしい。
 そして、Death Cafeの活動は彼らのウェッブサイトでも告知、報告されている。
 来年の目標は、ロンドンに常設のDeath Cafeを開設することだという。

 素晴らしい活動だなと思う。
 よく言われるように、「死」をリアルに考えることは、「今をもっと輝かせて生きること」なのだ。
 
 
 上の写真は、「野晒し」を描いたアンティークの男襦袢。
 これをこっそり着込んで、ロンドンのDeath Cafeに着物姿で行ってみたいな。
 そして、日本人は、こんな柄のものを、人には見えない肌着や羽織の裏につけていたのだとか言って、これを見せる。
 
 受けるかな?
 おいっ! 
 お前は、「受ける」ために、Death Cafeに行くのか?!