ICHIROYAのブログ

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右も左も関係ねえ

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明治中期の縞帳 

思えば、ものごころついた時から、左翼だった。
貧乏だった父と母は、共産党の支持者だった。
家には「赤旗」があった。
小学校のK先生が、「また、戦争の歴史は繰り返す。君たちが大人になるころには、また戦争になる」とおっしゃったので、「先生は良かったですね、ちょうど、戦争のない時代に生まれて」と言ったら、「そういう考えがだめだ。君が、戦争のない社会にするんだ。それが君の責任だ」と言われ、熱くなる。先生の話では、共産主義が理想的のようだったので、共産主義に命を捧げるみたいなことを言ったら、マルクスの「資本論」を読んでから言いたまえ、とたしなめられた。
もちろん、新聞は、「朝日」、雑誌は「世界」であった。というか、好きな雑誌はと聞かれて答えるのが「世界」で、ごくごくたまに、あの分厚く理想に満ちた雑誌を買い、すこし読んだ。

おじいたちは、戦争になっても、自分が行かなくていいから、戦争が好きなんだ、くそったれ!と思っていた。

さてさて、時代は流れ、ソ連は崩壊し、僕の頭のなかも、理想の火が、煩悩の火におきかわり、要は薄汚い大人になった。
喫茶店で、かつて蛇蝎のごとく嫌っていた「産経新聞」を読んで、自分が呼んでいる社説が「産経新聞」のものであることを忘れてうなづいている体たらくである。

町内会にY先生という、共産党の議員さんがおられる。
共産党である。
薄汚い大人の自分には、選挙のときには、もはや無縁の政党だ。
でも国会議員さんというのは、僕のようなものからすれば、超大物である。
3.11のはるか昔、引っ越してきた僕らが初めて町内会の会合に出させていただいたとき、簡単にご挨拶させていただいた。
Y先生は、とってもやさしい表情で名刺をくれ、原発やエネルギーの問題にかかわっている、とおっしゃった。
原発は危険なので、原発依存から脱却しないといけません」
広瀬隆さんの本など読んだことがあるので、それは知っています。でも、代替エネルギーで全部まかなえますか?」
「まかなえます。ちゃんと工夫すれば、まかなえるようになります」
ああ、このひとも、共産党らしく、非現実的なことを言うなあ、と思って話は終了。

でも、Y先生というのは、やはり、そのへんのやさしそうなおじさんとは人物が違う。
Y先生は、町内会の重要な会のときは、わざわざ東京から帰ってきてくださり、勝手気ままなことを言って紛糾しがちな町内会を、いつもぴたりと納めてくださるのだ。
強圧的なのではない。みんなの意見をよく聞き、そのオーラを発する笑顔で、皆の共感をえて、落ち着くべきところに、無事、皆を導いてくれるのだ。

国政にかかわる重要な役割がありながら、たかだか富田林市津々山台の町内会もないがしろにせず、真剣に向き合ってくださる。
それは選挙目当て、という声も聞こえてきそうだが、Y先生の笑顔をみたら、Y先生のこころに、僕が子供のころに宿していた理想の光が見えるのがわかるだろう。

前回の町内の総会では、役員全員で、資料を皆で持って帰り、町内の人数分をそれぞれコピーしてくることになった。
あるひとが、「はい、これ、Yさんの分ね」と、明日には東京にとんぼ帰り、国会に行くY先生にもコピーを押しつける。
ここは大阪のディープサウスである。最強の大阪のおばちゃんには、国会議員も関係ない。

 

さて、わかるひとにはもうわかっているだろう。
このY先生というのは、吉井英勝衆議院議員である。

京都大学工学部原子核工学科卒業で、以前から原発問題を手がけ、2006年ごろから、まさに福島第一原発が被ることになる危機的な状況を予見し、国会などで政府の姿勢をただしてきた人物である。

原発事故後、吉井先生のプロフィールを知って、仰天した。
吉井先生の目にははっきりと見えていたのだ。
そして、あの吉井先生が真摯に訴えていたことを、理想主義の戯言と聞き流していたのだ。
そして、コピーをおしつけるようなことまでしていたのだ。


次の選挙で共産党に一票を投じるかどうかはわからない。
でも、吉井先生の話は真剣に聞いてみたい。
で、僕の中の、理想の火の燃えかすがまた燃え上がるのか、見てみたい。

原発には、右も左も関係ない。

PS 津々山台町内会の名誉にかけて書きますが、結局、コピーはどなたかが手をあげて、吉井先生の分もひきとられました。