56歳の同期会
ひょんなことから会社時代の小さな同窓会に誘っていただいて、昨日参加させていただいてきた。
総勢6人、みんな30年ほど昔に同じ会社に同期で就職した仲間である。
うちひとりは、同じ店に配属されたIくんで、ずっと付き合いがあるのだが、それ以外の4人は配属店が異なっていたため、ほとんど接点がなかった。
しかし、不思議なもので、研修期間だけの付き合いだったにもかかわらず、すぐにその人となりを懐かしく思い出した。
まるで、30年を接点なく過ごしてきたのが嘘のようだ。
懐かしい話や共通の知人のうわさ話に花が咲き、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。
Tくんは早くに会社を辞めたのだが、老舗旅館の経営者から出家して住職となっていた。
彼の人生の道行は、ほかの3人はそれなりに知っていたようだが、僕とIくんははじめて聞かされて驚いた。
彼の人生はまさしく、そうなるように定められていたようだ。
IくんはTくんの次に会社を辞め、その次に僕が辞め、残る3人はまだ会社でがんばっていた。
30年の間に歩んだ道はそれぞれ違っていたが、みんな、一様に、いい顔になっていた。
その場にいないFくんの話になった。
Fくんはガタイの良いスポーツマンタイプの男で、相当な男前であった。
なぜだか思い出せないのだが、入社して間もない頃、彼とふたりで須磨海岸へドライブに行き、どちらが女性に声をかけるかジャンケンかなにかをしたような思い出がある。
Fくんはその後、外商に配属され、圧倒的な営業成績を上げて活躍しているという噂であった。営業成績が抜群で、人当たりも良く、立派な組織人だった彼は、あちこちから引っ張られ、また、所属部門長からは離すもんかと抱え込まれていたと聞いた。
ひとり息子さんが4歳ぐらいの時に、奥さんが突然亡くなった。
そして、8年ぐらい前だろうか、彼から喪中葉書が来て、また不幸があったのか、ご両親のどちらかが亡くなられたのだなと思い、その文面を読んで驚いた。
亡くなったのはFくん本人であった。
Fくんは癌でひとり息子をおいてなくなったが、幸い息子さんはすでに成人して会社勤めをしておられたということだ。
Fくんの人生は幸せだったんだろうか。
不幸もあり、短かったけど、僕らが知らない至福の輝きに包まれた人生だったと思いたいよな、と彼ともっとも親しかった、TMくんが言う。
住職のTくんは、すべての人が生かされている理由が、使命があるという。
彼はそのことを心の底から信じているから、そう言う。
僕はそのことを信じたいために、「人はそれぞれの人生には使命がある」と書く。
訊ねてはいないが、Fくんは幸せだったろうかと訊ねたら、きっとTくんはゆらぎのない信念に満ちた表情で断言するだろう。
Fくんは自分の人生を、自分の与えられた役割を生き切った。幸せな人生だった、と。
ともかく、僕らはまだ生きている。
みんな50代半ばで、酒を煽り、「まだ、アサダチが~」とか、馬鹿なことを言いながら。
与えられた使命、背負わされた重荷に喘ぎながら、一歩一歩。
明日か、来年か、数年先か、20年先か、いつかはわからないその時まで。
photo by Nick Page