ICHIROYAのブログ

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ロボットの時代に日本人がたいせつにすべきものは?

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 「ジョブレス・フューチャー」という言葉がある。
 技術の進展によって、人間の仕事が機械に置き換わっていき、どんどん仕事が減っていくということを意味している。
 ロボットで何を出来るようになったかというニュースを聞いてももう驚かないが、直近に迫っていそうな自動運転が一般的になったときのことを想像すると、色々と考えてしまう。

 もちろん、交通事故は減り、渋滞はなくなり、万人が安心して運転できるようになり、違反の取締の警官も要らなくなる。とんでもなく便利になるいっぽう、いったい世界でどれほどのドライバーの仕事がなくなってしまうのか、と思う。

 そこで失われた雇用はどうなるのだろうか?
 より人々の生活を便利にする新たな仕事が生まれて、そこに雇用が移動する。そして、世界がより住み良くなる。
 もしくは、全体の生活を維持するための労働時間が減って、人々の余暇時間が増える。
 そうなればいいなと思う。

 世の中の生産活動はどんどん機械が担うようになってきており、今後はさらにロボットの仕事が増えるだろう。
 単純な労働は減って、ロボットをつくる仕事がさらに増える。
 となると、労働者は「単純労働」から、「ロボットをつくる」仕事にステップアップしないといけないことになる。
 
 ところで、最初に機械が作ったものは、人間が作るものの、劣化コピーだった。人間のやることのエッセンスだけを真似て一直線に作るから当然そうなる。
 その頃はまだ、「手の仕事」が一般の人にも明らかな意味があった。
 やがて、機械の精度は上がっていき、人間の作るものとほとんど変わらなくなる。とくに正確さや細かさにおいては人間の「手の仕事」を凌駕し、生産コストも劇的に安くなる。
 そうなると普通の人には、その製品が人間の「手の仕事」なのか「機械の仕事」なのか判別しにくくなる。で、普通は安いものが選ばれる。
 もちろん、「手の仕事」には、人間の感覚による繊細なタッチが味となって残っているのだが、その違いはわかる人にしかわからない。いまそれを高いお金を払って買っている人は、それが分かる人か、わからないまでもそのモノのもつストーリーやファッション性に価値を認める人たちだ。

 さて、これから先は?
 ロボットの性能が上がると、「人間の感覚、繊細なタッチ、微妙なゆらぎ」みたいなものを生産過程で付加できるロボットがもっと増えるだろう。
 そうなれば、将来、物理的には「手の仕事」とそっくり同じものがロボットによって作られるようになる。
 どんな通人が見ても、どんな専門家が見ても、生産過程を見なければ、「手の仕事」なのか「機械の仕事」なのかわからないものが。

 そこまで来たときに、もっとも大事なものは何だろう?
 「手の仕事」の良さ、ホンモノの良さを、見て、触って、感じて、見分ける眼ではないだろうか。
 「手の仕事」の最高のものの良さを感じられなければ、どれほど優秀な技術者でもそれをつくるロボットはつくれない。
 その時に、どれほどのリアルな「手の仕事」が残るかどうかはわからない。でも、それを機械で再現するためのプログラムや機械をつくる仕事は残るのである。
 
 本来、日本人は、日常に触れる道具やモノ、食べ物に、世界から見ると異常なほどの細かな注意を払ってきた。
 それが日本製品の高品質を支え、世界中で受け入れられてきた。
 それが今では、細かなことにこだわり過ぎるとか、機能過多であるとか、ほんとうにイノベ-ティブなものは生まれないなどと言われている。
 しかし、ロボットがより進んだ社会では、その違いを知ること、そしてそれをロボットで再現することが重要ではないかと思えるのだ。

 先日、先輩に勧められて、『近世のシマ格子ー着るものと社会』を読んだ。

近世のシマ格子― 着るものと社会

近世のシマ格子― 着るものと社会

 

 

 この本を読んだら、日本の江戸時代ごろの服飾史がよくわかってとても面白かった。 幾多の文献を読み込んだ重厚な労作である。朝日新聞社に勤める傍ら、ライフワークとして研究されていた『シマ格子』についての成果を一冊の本にまとめられたということだが、僕のような新参者のアンティーク業者だけでなく、業界の第一人者と言われる先輩ですら、目から鱗の連続だったと激賞されていた。


  この本で僕がもっとも驚いたのは、江戸時代の日本人がいかに衣類(きもの)の価値を細かに見分けていたのか、という点だ。

  日本史で学んだように、江戸時代は華美や放埓と規制・改革の時代を繰り返した。 その中で、武家はもとより庶民の衣類に至るまで、ことこまかな規制が実施された。
 上質で高価な絹は、もちろん規制の対象となるのだが、それでもおしゃれのしたい人たちは、見えないところ(裏とか)に気を配ったり、規制にかからない素材を選んだり、かつ派手にならないデザインでおしゃれを競ったりした。デザイン面ではさまざまなシマ模様がもてはやされたが、素材面では綿と紬*1に向かった。

  当時の綿の最高峰はインド産の唐桟や更紗である。
  国産の綿は繊維が太短く、 絹と見まがうようなインドの薄くて滑らかな綿に江戸時代の洒落者たちは熱狂した。
 
  もうひとつは結城紬である。
  当初、丁寧に織られた丈夫な紬という認識しかされていなかったのだが、やがて品質の良い紬を探す商人たちの目にかなって、だんだんと、シックで上品なものというようにイメージが変わっていった。
  結城紬の手引き、いざり機での気の遠くなるようなつくりかたは、現代から見るととんでもなく非効率に見えるけれど、じつは当時も同じだった。当時も、1反分の糸をとるのに1か月、織りに10日と言われており、それはほかの産地が糸取りの工夫や高機での織りなどで製造日数の短縮、コストダウンに取り組んでいたのとは一線を画していた。
 もちろん高価ではあったが、その良さは通人や呉服屋の目にかなった。
筆者が言われるように当時でも結城紬が産業として成り立ったのは「産業史上の例外」だったのである。

  僕がとくに感動を覚えたのは、当時のしゃれものたちや呉服屋が、「 渡りの綿、唐桟」の品質や、「結城紬」の品質を見分けて追及しえた、という点である。
  実際に、1820年代に江戸に来たオランダ人が、当時品質が落ちていた輸入の綿ではなく、「古渡」(それより古い時代に輸入された綿)の綿を着ている人たちがいることに驚愕している。そして、こう書き留めている

 「古いものが注意深く保存されている」のは、職人の働きぶりや手技とともに、ヨーロッパに勝る日本の文化だ」
 
  ちょうどインドの覇権がオランダからイギリスに移り、オランダの東インド会社は解散(1799年)、唐桟や更紗の品質は昔日の面影を失う。また、産業革命がおこり、インドで手紡ぎ手織りされていたものが、イギリスで製糸・製織されるようになる。
  そのオランダ人の書き残したことを信じれば、当時の世界で日本人だけが、その品質の変化に敏感に反応した。
 新しく輸入されたものより、古いもののほうが品質が良いことを知っており、古いものは大切に保管されていて、古いものほど高値で取引されていた。

  かつての日本人は、自分たちが身に着けるテキスタイルの良しあしについて、それほどたしかな審美眼を持っていたのである。
 
 日常に使うものの細部に、品質にこだわるのは、江戸時代の日本人も同じだったのである。

 そして、考える。
 その伝統は今も受け継がれているだろうか?
 今、僕ら、日本人は、いったいどれほどの人が、手織りの綿と機械織りの綿、手紬の糸と紡績の糸、いざり機の結城紬と高機の結城紬を見分けることができるだろうか? 
 その伝統は失われてしまったのだろうか?
 それとも、そういった身近なものの品質を見分ける目は、対象が変わっただけで、僕らはあいかわらず世界屈指のレベルでもっているのだろうか?
 
  最近は、日本の将来について悲観的な言説も多い。
 が、僕らが過去の人たちから受け継いだ伝統は、誇りに思ってよいはずだ。それを後世に受け継いで、より世界の人たちの役に立つことができれば、これほど嬉しいことはない。

 そのためには・・・
 僕らは何か特別なことをするべきだろうか?
 いや、おそらく、今までのように、日常に使っているもの、毎日の食生活、ふだんに着ているものを、大事に使ってその良さを味わう、日常の生活をもっと快適にすることにさまざまな工夫をこらす、四季の移ろいを生活に取り入れる、などというあたりまえの日本人の生活を大切にすれば良いのだと思う。


 ほんとうに必要なことは、今、現在、僕らが持っているものの価値を、再認識して大切にすることだと、真に思うのだ。 

 

photo by Stuart Rankin

*1:絹だが、本来製品にできない屑糸を使ったもの