あなたはどれほど『人を信じるチカラ』を持っていますか?
僕らはどれほど自分のチームや従業員、ビジネスパートナーや友人を『信じるチカラ』があるだろうか。
長く生きれば生きるほど、人間は『人を信じるチカラ』を失っていくような気がする。
僕がはじめてマネージャーをさせてもらったとき、チームのメンバーとうまくいかなくて文字通り泣きながらその壁を乗り越えることができたのだけど、その時に思ったことは、『メンバーがみんな全力を尽くして職務にあたっていると信じる。その前提で話をするし、すべてを考える』とべきだったということだ。
そうは思っても、もちろん、手痛く裏切られることはあった。
でも、チームはそう考えることでうまく回るようになったし、チームの生産性もあがったので、その考え方を長く僕の仕事の信念とした。
すごく単純だ。
だけど、会社がリストラをしなければならない状況になると、その信念を持ち続けるのは難しくなる。
誰でも自分の出来る範囲で一生懸命やっていると固く信じていれば、どうやって会社の足を引っ張っている人や会社への貢献の低い人を選ぶことなどできるだろう。
あるいは、誰でもいつでもネットにつながることができるようになった現在、『スタッフが営業時間中に業務に関係のないウェッブにアクセスして時間を無駄にしたりしない』とか『従業員は決してセキュリティに関して問題のある行動はしない』と100%信じることができるだろうか。
それを前提に、会社のシステムやルールを決めることができるだろうか?
長い年月のあいだに、いつの間にか、僕ははじめてマネージャーを拝命したあの頃の『人を信じるチカラ』を失いつつあるのかもしれない。しかし、それが歳をとるということであり、人間洞察において賢くなるということなのだ、と思っていた。
今朝、『The Inborn Natural Power of Trust ーMahan, Nelson, and the Heart of Leadership』という記事を読んで、それでも、やっぱりそれは違うかもしれないと思った。
この記事は、アルフレッド・T・マハンという人が書いたイギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンのリーダーシップに関する考察を紹介したものだ。
ネルソン提督は海軍史上最高の戦略家でありリーダーだった人でイギリスの英雄だ(イギリスの山本五十六元帥のような偉人)。Wikiを読むだけでも、その海戦の指揮、戦略の凄さがわかるのだが、マハンという軍人で戦略家の分析によれば、彼を偉大にしているのは戦略に加えて、『生まれながらにもっている人を信じるチカラ』であったという。
ネルソン提督は、人間というものは(彼の部下は)すべて、自分と同じ義務の遂行への熱意を持っているという前提で、議論し、作戦を決定したという。たとえば、配下の部下を選ぶように訊ねられた時には、こう答えたという。
「誰でも良い、おまえに任す。みんな同じスピリットを持っている。誰を選んでもおまえの選択は間違えようがない」
ネルソン提督のその考え方には人を動かす強力なパワーがあり、誰もが、彼が望んでいること彼が喜びそうなことを、命令をまたずに自発的におこなったという。
マハンによれば、リーダーシップのもっとも大きな本質のひとつは、いつどのようにリスクをとるかということであって、『Trust(人を信じるチカラ)』が必要になる。それなしには、リスクを冒して挑戦する方向にチームを導けない。
なるほど、そういうことなんだな、と合点した。
マハンの考え方をそのまま受け入れるとしたら、僕や懐疑的になっている多くのリーダーたちは、現状の維持か緩やかな成長を前提としているので、マハンの言う本当にリーダーシップが必要な「いざという時」がない。だから、それでもやっていけるし、リスクがないかわりに、劇的な勝利やめざましい成果はない、ということになる。
記事をひとつ読んで感じたことなので、僕ももう少しこのテーマについては考えてみたい。
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