「行き当たりばったり」こそ、満足のいく人生の鍵だ!
「行き当たりばったり」っていうのは、基本的に悪い言葉だと思われている。
だけど、僕の人生は120%行き当たりばったりで、それでもまあ、満足している。
野球のイチローさんのように子供のころからただひたすら一本道を歩くことが人生のロールモデルみたいに言われているけど、案外、多くの人は、僕のように行き当たりばったりで生きていて、それでもOKだぜ、っていうことなんじゃないか、ひょっとしたら、「行き当たりばったり」人生だって、ひとつの人生の理想形なんじゃないかって思っている。
「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力
- 作者: キャロル S.ドゥエック,今西康子
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2008/10/27
- メディア: 単行本
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2008年に翻訳されたこの有名な本を簡潔に紹介した記事(Fixed vs. Growth: The Two Basic Mindsets That Shape Our Lives)をざっと見て、いかに人は自分の能力や特性を「こういうもの」「こういうことはできるけど、こういうことはできない」と決めつけてしまっていて、それがその人の人生の可能性をいかに制限してしまっているか、思い至った。
「行き当たりばったり」流なら、目の前のことをやるしかないので、その制限はないし、というか、「自分にはできない」と逃げることができないので、案外自分には無理と思っていた世界が広がっていくことがある。
僕の場合で恐縮だが、たとえば・・・
僕はしゃべるのが苦手だし、人前で話すことも、面白いことを言うことも、司会みたいなことをすることも、とにかく、口頭表現力が人より相当劣っている、と思っていた。
それは、まるで、僕というキャラクターのコアにある岩盤に刻まれた刻印のようなものと思っていた。
だけど、「行き当たりばったり」に入った会社で、なんやかんややらせてもらううちに、ある時、部下のA君から、「和田さんみたいに、喋れませんし」と口頭表現力に関する劣等感をしみじみと告白されて驚いた。
そういえば、ちょうどその時、仕事も乗りに乗っていて、上司との人間関係も良好、宴会の司会も苦にならなかったし、事務所でも僕のデスクの周囲はめちゃくちゃ賑やかだった(たぶん、迷惑なほど、うるさかった!)。
いつの間にか、「しゃべりのできない、面白くないヤツ」という、自分で自分につけていた刻印が薄くなっていることに、その時気がついた。
いや、いや、いまでも、口下手って言われる。
ボール投げてくるくせに、投げてきたボールには反応できない人ですね、などと失礼なことを言う若い連中もいる。
しかし、昔の、あの固く固く僕のコアに鎮座していた劣等感のコアはもうない。
なんだか、つまらない話だけど、「行き当たりばったり」のお陰で、自分にはできないと思っていたことが、たしかに、いくつかできるようになっているのだ。
たまたま、何度か紹介したJames Clearさんも、この本のことを書いておられ、その記事の中に、さらにこんなことが書いてあって、なるほどと思った。
つまり、一般的には、「まず、自分を信じること。自分を信じれば、達成できる」と言われる。だけど、彼のバスケットボールのコーチはこう言ったという。「まず、おまえの能力を見せろ。それを見せたら、自分を信じることができるようになる」と。
自信や意志の力というのは、自分のアクションによってのみ、強化することができるんだと。
彼の紹介したコーチの言葉は、原文ではこうなっている。
Confidence is just displayed ability.
意味は、おそらくこういうことだろう。「自信とは、すでに現実のものとして自分と周囲に見せた能力そのものである」
この話は、「行き当たりばったり」流にも通じる話だと思うのだ。
僕らが自信のないことだらけなのは、主に、やったことがないからなのに違いない。
Jamesさんのアドバイスに従えば、やったことがないことに、自信をもつことなどできないではないか!
「行き当たりばったり」でいいじゃないか。
「行き当たりばったり」で、いろんなことをやってみて、ちょっとずつ、知らなかった自分の能力をみつけて、それを自信に変えていこうじゃないか。
僕はこれからも、「行き当たりばったり」でいくぜ!