「僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと」で語りたらなかったこと
僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと - ICHIROYAのブログ
という記事を書いたら、思いのほか拡散してびっくりした。
色々と厳しい声をいただき、ここ2日間は生きた心地がしなかった。
僕が体験したことは、あくまで個人的なことだ。
最初に書いておきたいが、僕は個人的なことを書いているだけなので、ここにあなたへの答えはない。
あなたが考えるひとつの材料があるだけだ。
さて、僕が体験したことを、もう少し詳しく書こう。
新卒で19年勤めて会社を辞めたのは42才の時。いまから12年前のことだった。
業種は百貨店である。
そして、ご存知のように、百貨店は近年、リストラの20年であった。
僕は上記の記事に書いたような社員だった。
世の中には、「優秀で使いやすい人間」と「優秀だけど使いにくい人間」がいるという。
僕は後者であったのではと思いたいけれど、コメントにいただいたように、「無能で使いにくい人間」に過ぎなかったのかもしれない。
だから、結局のところ、前の記事に書いたように生きていても、何も変わらなかった可能性もある。
僕もその可能性は否定しない。
ところで、会社というところをイメージすると、こんなグラフになる。
右に年数(40年間ぐらい)をとり、上に会社への貢献度(あるいは評価)をとる。
偉くなったAさんは、若い頃からひたすら頑張り、あるタイミングから会社におおいに貢献するようになる。
ダメ社員のCさんは、ずっとお荷物であり、歳をとっても会社への貢献度は低く、会社からすれば給与と貢献度の損益分岐点(X)を超えない。
中位のBさんは、ちょうど若いころの借りを後半で返し、会社からすれば損益分岐点はトントンということになる。
さて、僕が体験したのは、この損益分岐点が、(X)から(Y)へといつの間にか上昇してしまった、みたいなことである。
できない50代だけではない、ふつうの40代、50代も、できれば会社を去っていただいたほうが、助かるみたいな状況である。
「結局のところ、出世しか頭にないのね」という声もいくつかいただいたが、状況はそんなに甘いものではない。
自主退職の募集や、出向してそのまま転籍とか。
いる場所がなくなるのだ。
会社に残って貢献しようとすれば、少しでも会社にとって貢献度の高い自分を作っておく必要があった。
そして、僕があの記事を書いたのは、若い頃にはそれがリアルにわからないから、ぜひ知ってほしいと思ったのだ。
そもそも、(A)さんのようなずば抜けた能力があれば、どんな生き方をしても問題はあるまい。だが、(B)さんのような普通の人は、ちょっとの違いが人生の大きな違いになる可能性があるのだ。
しかし、若いころの差は、ほんの少しだ。
それは、グラフの赤い太線の部分で、とるにたらない差に思える。
「自分流」、「自分の信念」に従うコストとしては、安いものだと思えてしまうのだ。
ところが、それが20年、30年積み重なると、みるも無残な大きな差になってしまうのだ。
僕が一番言いたかったことは、この点なのだ。
いったい、何人の「俺流」の人を見てきただろうか。
その専門性、オシの強さゆえに、周囲からも一目置かれる。
上司もはれものに触るように接する。
しかし、そういう人たちの多くの行く末は、寂しいものであった。
そして、僕ももちろん、そのうちのひとりに数えられるからこそ、「成熟した組織人」になる重要性を、若い人に伝えたいと思ったのだ。
なお、先の記事で、「共感はするが、8.男気なんてゴミ箱に捨てればよかった、のところは間違っている」という声も多かった。
たとえば、僕はこういう状況を想定して書いた。
自分が人事課長で、10人の中高年をリストラせよと命じられた。
10人を慎重に選び、次の就職のことも最大限考慮して、リストラを実行した。
そのとき、9人を仲間から選んで、最後のひとりを自分にすることができるだろうか?
「男気を捨てず」に、10人の仲間を指名することなんて、できるのだろうか?
先の記事で、最後に、番外に「もっと早く辞めればよかった」と書いて、わざとすべてをひっくり返した。
だから、そこまで読んでくれた人の多くは、「あれ?なんだよ。結局、サラリーマンなんて、やってられん!ってことを言いたかったの?」と思われたことだろう。
違うんだ、ブラザー!
サラリーマン諸君のブラザーよ!
実際のところ、会社を辞めたあと、僕は嫁と小さなアンティーク着物の会社をはじめて、12年間やってこれた。
現在スタッフ十数人、年商2億弱というところだ。
詳しくはこちらに書いたが、なんとか商売人の端くれとして、自立して生活している。
そして、いまの僕は、昔の僕より、はるかに幸せになった。
いまでは自分が正しいと信じることしかしない。
お客様のためになると思うことしかしない。
あいもかわらず、頑固な僕は、しょせん僕であり、そんな僕であっても生きる場所があったのだ。
それがいかに小さな、ひとにとってはとるに足りない場所であったとしてもである。
ブラザー、つまり、僕の話には、ふたつの意味があるのだ。
サラリーマンとして生きるなら、慎重にやれよ、そして、自分を殺す技術も覚えるんだ。
でも、どうしても自分を変えることができないなら、ブラザー、自分の流儀を貫いて、会社を去り自分が生きる場所をつくることだってできるんだ。
だけど、だけど、僕にはわからない。
それが、僕の場合の特殊例だったのか、とんでもない幸運があったゆえなのか、嫁が言うように、神様のおかげだったのか。
僕の場合、自分の居場所はみつかったけど、会社を去った多くの「俺流」の人たちが、自分の会社を立ち上げて上手くやっているという話は、そんなに多くは聞くことができないのだ。
だから、サラリーマンを辞めればいい、独立すればいいんだ、なんて、僕は軽々しく口にはできないんだ。
だから、ブラザー、ここには答えはないんだ。
誰のブログを読んだって、答えはない。
自分で考えるしかない。
だけど、組織の中で苦しんで懸命に生きている親愛なるブラザーたちよ。
僕にできるのは、ありのままの僕の体験をこうやって話して、あとは、ただ、幸運を祈ることだ。
ほんとうに、ブラザー、君の幸運を祈っている。
PS ゴスペルロックを聴きながら書いたので、言葉遣いが変になっちまった!
(200日後の追記)こちらに、もうひとつの物語を書かせていただきました。ご参考まで『 定年退職した「最高にできる鬼上司」が後悔した、たったひとつのこととは? 』)
*組織で働くこと、夢や野心、諦念について書ききれない思いを短編小説に書いています