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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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ゴールデンウィークに相応しい思いっ切りネガティブな話

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by h.koppdelaney

ゴールデンウィークに相応しく、めちゃくちゃ悲観的なことを書く。

まずは、ネットの雰囲気のことだ。
たとえば、大きな業績を上げている、ある有名実業家がいるとする。たとえば、柳井さんでも、だれでもいいのだけど、とにかく、誰かそんな人だ。
もちろん、マスコミで取り上げられ、その人の上げた業績が、どれほど素晴らしいか、報道される。
さて、一方、ネット上では、それに追随することも書かれるけれど、その人の業績ややりかたを貶めようとする意見も多数かかれる。
マスコミは主に、光を、ネットは影を、というわけだ。
マスコミは、希望と良心と夢を語り、ネットは、諦念、強欲、嫉妬を語ると言い換えても良い。

それはそれで健全であると思うのだけど、日本の、匿名が主のネットの世界では、影のチカラが、相当強い。
「光」の部分は面白くないし、しんどいだけだけど、「陰」を覗くのはわくわくするし、自分のホンネと共感する部分も大きい、というわけだ。

若い人たちを中心に、みんな、新聞や雑誌を、どんどん読まなくなって、情報入手を、ネットに頼りきるようになってきた。
そして、ネットに頼ると、自然と「陰の部分」に接するほうが、だんぜん多くなる。
かつて
、マスコミや親、教師や上司が語る夢・正義を聞かされて、反発してきた若者は、それを仲間の会話のなかで、愚痴る程度のことしかできなかった。
それが、ロックなどの形になって、噴出していた、とも言える。
でも、「陰」「諦念」「悪意」「嫉妬」は、あくまで、その範囲に限定されていた。

だけど、最近、それが、「光」「夢」「善意」と拮抗するほどの力をもってきた、と思うのだ。
悲しいことだけど。
ネット上で、共有されて急速に広まっていく言説は、感覚的には、「光」1に対し、「陰」5ぐらいではないかと思う。
ひょっとしたら、1:9ぐらいかもしれない。

たとえば、ユニクロの柳井さんやワタミの渡邉さんに関する言説を、ネット全体で調査してみると、毀誉褒貶の割合は、そのぐらいになるのではないかと思う。
たまに、このお二人の「光」の部分もネットで語られ、広く共有されることもあるけれど、頻度は、とても少ない。

そのため、情報をネットに頼り切る人たちは、「なぜ、このふたりがこれほどの会社をつくれたのか、これほどの雇用とお客様をつくりだしたのか、どれほど社会に貢献しているのか、いったいなぜそれが可能だったのか」と考えることより、「このふたりが、どのように従業員を搾取しているのか、どれほどの人が苦しめられているのか、大きな会社を起業して成功するというのが、どれほど手を汚す嫌なことなのか」という風に考えるのだ。

匿名のネット空間が巨大化したために、そのバランスが、とても悪くなっているような気がするのだ。

そんなことを考えていたら、憲法改正論議が盛んになってきた。
憲法を変え易くするという。
現行の改正の発議条件を「議院・参議院それぞれの所属議員の三分の二以上の賛同」から過半数に変えようというものだ。


いまの選挙制度の「過半数」がいかに軽いものか、国民は重々承知しているはずではないか。
国民の「気分」など、そのときどきで、大きく揺れる。
そして、その揺れをマスコミが増幅し、選挙結果も大ブレする。
マスコミは、「光」の部分を担うと同時に、ひとびとの「気分」のピカピカに磨き上げられた鏡でもある。
たとえば、ニュースの取捨選択は、人々の知りたい欲求を反映している。
とどのつまり、ネットで醸成される人々の気分は、マスコミに反映され、そして、もちろん、選挙結果に反映する。

かくして、民主主義のシステムは、いままでにも増してそのスピードと精度をまし、憲法も、簡単に変えられるようになるだろう。

そして、それが立脚しているひとびとの気分は、おおっぴらに語られるようになった、「陰」「嫉妬」「諦念」の思いに、色濃く支配されているのだ。

だから、どうしたら?
わからない。
でも、これって、ちょっと、まずくね?