文楽の議論の前に、鼻を絞って角栓を出す
文楽を巡る議論をたどっていたら、久しぶりに鼻の脂肪を絞りたくなってきた。
ほら、あれである。
鼻の頭を指でぎゅうっとつまむと、毛穴から脂肪の角栓がにゅうっと出てくる。
何かを考えて、文章を書かないといけないときなど、周囲に誰もいないと、ついつい、鼻の脂肪が絞りだしたくなるのである。
この「角栓にゅうっ!」は、ほかに一切の雑念を取り払って、ただただ、角栓に没入し、言わば、「無」となれる貴重な時間だ。
一番、効率良く、綺麗な形で、角栓を取る方法は、軽くつまんで、角栓の頭だけを出し、そこを、爪切りの端ではさんで引っ張りだす、ことだ。
安物の爪切りではダメである。
刃の端が、マクロ単位で、ぴったりと噛み合っていないと、「角栓の頭をつまむ」という動作ができない。
また、切ってしまわずに、「つまむ」という、微妙な手加減ができないのである。
だから、ちゃんと、そのため専用の、家で一番良い爪切りが確保してある。
その方法で、20分も無我の境地で作業をすると、座禅後のように、気分がすっきりする。
座禅はやってみたことがないんだが。
そもそも、この誰にも言えない、誰にも見せれない趣味は、嫁から教わった。
やらして、と言われたので、最初は好きにさせていたのだが、鼻をつまむ力があまりに強く、痛くてたまらない。
で、その不思議な魅力に気づかされ、自分でやるようになったものだ。
最近、長女が同じように、旦那の鼻を、絞っているようだ。
旦那も、いまは、その魅力を知らないから、好きにさせているらしい。
しかし、長女もうかうかしていられない。
やがて旦那も、その魅力に取り憑かれ、自分で始めることは必定である。
文楽を巡る議論について、何かを書こうと思っていたのだが、時間がなくなってしまった。
ただ、このことだけは、はっきりしている。
こうやって鼻を絞ってばかりいると、文楽人形の頭のような、ツルッとした輝くお鼻の肌は失われ、耕したばかりの畑みたいなデコボコのお鼻になってしまう。
自分と嫁だけがやっているのかと心配していたら、案外ファンの多いらしい、この行為も、やり過ぎると良くないってことだ。
PS すみません。けっして、今の文楽の問題に興味がないわけじゃないんです。かつては骨董をやっていて、古い浄瑠璃人形や浄瑠璃人形の衣装の扱いをしたことも、1度や2度ではなく、また、海外のお客様のために、阿波人形浄瑠璃の取材に行って、お客様に紹介したこともあります。
僕の思いは、いま、短文には書けません。あしからず。
( 写真は 人形浄瑠璃の頭のデザインの紬の着物 珍品です!)