なぜできる人たちは美しいのか?
photo by Koshy Koshy
不思議に思うことがある。
会社員時代の僕の周囲には、多くの優秀な人たちがいて、のちに取締役になった人も多く出た。
その人たちに共通していることにひとつに、身だしなみがいつも完璧であったということがある。
できる人は、美しいのである。
百貨店というファッション企業だったからということもあるのかもしれない。
みんな靴はピカピカで、ズボンはぴしりと折り目がついていて、シャツはあくまで白く、時代にあった幅のネクタイを締めていた。髪は散髪屋さんから帰ってきたばかりみたいに整っていて、鼻毛が顔を出していることはなく、爪が伸びてるということも、まして、そこに垢が詰まっていることもなかった。
僕はと言えば。
寝癖がおさまらずに、鳥みたいに後ろ髪を立てている時があった。
人前に出した爪が伸びているのに気がついて、ひっこめることもあった。
剃り残した髭が頬や顎に一本ぺろんと伸びていることもあった。
メガネにほこりや脂がついて、汚え、拭け!と友だちに言われることもあった。
ある時は出勤途中の電車の中で、右足と左足の靴が別のものであることに気がついた。さすがに色はどちらも黒だったが、ウィングチップとプレーンで、別の靴であることは一目瞭然だった。
前夜に喧嘩した嫁が、暗い玄関に、わざとそう揃えておいたに違いないと思ったのだが、証拠はない。
そもそも、鏡の前で時間をかけても、男前でない自分の顔にうんざりするばかりだし、荒れ気味の肌を見ているとあまり丁寧に鏡を見る気が失せてしまうのだ。子供の頃、顔の肌が荒れて、ボロボロめくれてくる自分の顔が恥ずかしくて、学校へ行くのが嫌だといったら、母に烈火のごとく叱られたのである。それ以来、顔の肌が粉を吹いたようにめくれることは僕のパーソナリティの一部として甘受しているのだが、その流れで、髭の剃り残しぺろんの存在も見逃していたのだ。
そもそも、デコが広く、髪が薄いので、(早い話がハゲなので)、髪のセットをじっくりしていると、これまた、将来の姿が目に浮かんで、泣けてきたのである。だから、寝癖との格闘もほどほどにして出社したら、最終的に、寝癖が勝利していたときがよくあったようなのだ。
そもそも、みんなに負けないように、ちょとでも情報を仕入れようとして、日経新聞を隅から隅まで読んでいたから、両手両足の20本もの爪の成長具合にまで、気が回らなかったのである。
しかし、ほんとうに不思議だ。
なぜ、彼らは、あんなにもスキがなく、美しいのだろうか?
あのできるビジネスマンの見本のような人たち、怒れば怒髪天を突き、笑えば誰をもとろかして、社内をさっそうと闊歩していたエリートたちは、いったい、毎朝鏡の前で何分費やしていたのだろう。
彼らはほんとうに、毎朝、鏡の前数センチまで近づいて、鼻の穴をむきだして、鼻毛をカットしたりしているのだろうか?
毎朝、爪を切って、ヤスリで磨く、神聖な時間を用意しているのであろうか?
スーツを着たあと全身の映る大きな鏡の前に立ち、360度回転してみて、肩にフケが落ちていないかとか、確認しているのだろうか?
わからない。
しかし、できる連中は、仕事のあれやこれやを信じれないほどの量をこなすくせに、そういうこともまた、いつやるのか知らないが、完璧にこなしてしまうのだ。
どういうわけか、ここ30年、自分の周囲には、たしかに、身だしなみが完璧でないくせに、仕事はめちゃくちゃできるという人は見たことがないのである。
ふん!
どうせ、自分のことが大好きだから、そんなことにも時間がかけれるんでしょうよ。
寝ぐせのアタマが美しい亀井静香さんを思い出しては、自分を慰める僕は、あいかわらずスキだらけだ。
とほほ。