無料オンライン大学(MOOC)は、教育の機会均等を実現しつつ、教育を破壊する
MOOCって言葉をご存知だろうか。
Massive Open Online Course ( 大規模無料オンライン授業 )の略で、「無料オンライン学校」「無料オンライン大学」「オンライン教育サイト」などと訳されている。
最近、アメリカの多くの大学で、無料のオンライン講義が公開されており、それに東大も参加を決定したというニュースも流れ、日本でも広く知られることになった。
もっとも大きなところは、スタンフォード大学発のUdacityとCourseraである。
素晴らしい時代になった。
意欲さえあれば、お金がなくても、決まった時間がとれなくても、高等教育を受けることができるのだ。
発展途上国の若者も、ネットへアクセスさえできれば、等しく、この無料オンライン学校で学ぶことができる。
かくいう僕も、はてなブックマークで、オンライン授業のリンク集をみつけて、喜んで、ブックマークしたのだ。
だけど・・・
ブックマークしたけど、ブックマークしたことに安心して、何もしていない。
今朝、色々読んで、はじめて知ったのだけど、どうやら、僕のような「学ぶ意欲はあるような気がする~~」的な人も多いらしく、それだけでなく、色々と課題もあるようなのだ。
The MOOC Racket
Widespread online-only higher ed willbe disastrous for students-and most professors. ( by Jonathan Rees)
まず、僕のような意志薄弱のものも多いらしく、MOOCで学ぼうとして講義を選択したものの、90%のひとは修了にいたらない、という。
そもそも、オンラインの向こうにいる教授たちは、PCで向い合っている人達には、身近に感じる先生だけど、いわば、ロックスターのようなスーパープロフェッサーなのだ。何万人という生徒ひとりひとりとコミニケーションすることはできない。
この体験談を書いたひとは、
先生は、ローマ教皇やトーマス/ピンチョンより、ほんのすこしだけ、身近な存在。
と皮肉っている。
実際、授業を登録する時、先生にはメールを送るな、町で会っても話しかけないように、と言われるそうだ。
自身も高等教育の教授である、上述の記事を書いたジョナサンさん、に言わせると、それが、本当に、「教育」なの、となる。
図書館へ行って、本を読むのと、どこが違うのか。
教育の本質は、それぞれの生徒を見ながら、自分で学ぶ方法を伝えていくことで、たんに知識を投げ与えるものではないのだ、と。
人間は、弱い生き物だ。ていていの人間は、向上心は、毎日の生活に、侵食されていく。アメリカでは、学生ローンを借りて大学に行った、25%の学生たちは、卒業にいたらず、中退する。
有料で、リアルな大学に通ってもそれなのだ。
オンライン講座では、90%が挫折するというのは、残念ながら、ありそうな数字ではないか。
ジョナサンさんが憂いているのは、それだけではない。
MOOCのおかげで、少数の、まさにロックスターさながらの、「スーパープロフェッサー」が生まれつつあり、ふつうの教授、教育スタッフへの影響が看過できない、という。
つまり、日本の塾の講師と同じで、有名どころほど、報酬は高沸する。(あるいは、直接の金銭的報酬は少ないかもしれないが、スーパープロフェッサーになって得られる評判は、大きな金銭的メリットをもたらす)
MOOCであれば、多数の教授は不要で、少数の有名どころさえ揃えれば、たくさんの生徒を集めることができる。
そのしわ寄せが、すでに、スーパープロフェッサーではない、ジョナサンさんのような普通の教授、スタッフの雇用条件に、悪影響が出ているというのだ。
「高度な教育をすべての人の手に」を、実現させたかに見えたMOOC.
しかし、このまま、教育とは何か、教育の土台は誰がどうやって作ってきたのか、ということの認識を忘れて突き進んでしまうと、いつか、「いつでも、誰でも、どこからでも利用できる無料のオンライン学校はあるが、だれひとり、何も、学べない」という状況にいたってしまうかもしれない。
photo by Ed Yourdon