ICHIROYAのブログ

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短編小説16 『MGB』

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                       photo by  Ian Southwell

 

「お前の骨は拾ってやるから、安心しろ」
 安木部長はたしかにそう言ったのだ。
 今は平成の時代で、昭和が終わってから、すでに二十年数年以上、世の中は流れているはずである。だが、僕の勤めるこの会社、ある大手通販専門会社では、どうやら時の流れは止まっているらしい。
「わかったな」
 なんでもお見通しだというような鋭利な視線で僕を射抜いた安木部長は席を立った。
 はいとも、いいえとも、僕は答えられずにいた。
 いや、ひょっとしたら、無意識に、僕は小さく顎を引いてしまったのかもしれない。
 答えを聞くまでもない、ドアを開けて面談室を出て行った安木部長のグレーのスーツの広い背中がそう言っていた。
  
 呆然とソファに座ったまま、僕はすぐに腰をあげることができなかった。
 翌日、新規サイトの概要を取締役のひとりにプレゼンするのである。新規サイトは、ある最新のインクジェットプリンターを利用して、オンデマンドでファッションアイテムを作ってお届けするという計画である。何万、ひょっとしたら何十万というデザインを提示し、モデリング技術によって着装写真を作成し、それで商品ページをつくる。お客様からサイズや色を含めたオーダーをもらった時点で、弊社に導入予定のインクジェットプリンターで生地に柄を印刷し、それを国内の協力縫製工場に回して、商品を仕上げる。アイテムによっても異なるが、計画では、注文からお届けまで、1、2週間で完結する。
 デザインは著作権の切れた古いものでもよいし、若手のデザイナーに依頼し、販売数に応じてデザイン料を支払うということもできる。
 売れないものにまでデザイン料を投資する必要はなく、なにより、ファッションビジネスのネックである在庫をもたなくてすむようになる。モデリング技術を使うので、モデルに着せて写真を撮るためのサンプル一着分すら、つくる必要がないのである。
 この新規サイトの事業計画書を書いたのは僕であるが、実質の起案者、発案者、そして、それを推し進めようとしているのは、僕の上司、山岸課長である。
 
 鬼上司だ。
 今回の企画書も、すでに10回以上書き直しを命じられた。翌日までに、まだ、修正しなければならない宿題が残っている。
 山岸課長はゴジラのような顔をして、自分にも部下にも関連部署にも、とうてい達成できないような目標を掲げる。そして、しばしば、口から火を吹きながら、前に進む。いつも崖ギリギリのエッジを。僕ら部下は、弱音を吐き、あるときは泣きながら、そして、肝を冷やしながらついていく。で、いつも、最終的には、山岸課長は目的地に達する。それが最初思い描いていた通りのものでない場合も多いが、ぎりぎりのところ、当初の目標を達成したといえるところまでは、必ず連れて行ってくれるのである。
 ようやく、ゴジラは笑う。
 満身創痍になりながらも、僕らは山岸課長を畏怖とともに見上げ、やっと終わった、仕方がない、またついていくか、と安堵の溜息をつくのである。
 もちろん、いろいろと言う人もいる。議論の過程でプライドをずたずたにされ、はっきりと、嫌いだ、憎んでいるという人も多い。
 だが、僕は山岸課長が大好きであった。
 仕事だけではない。山岸課長はとてもおしゃれな人で、同年代の社員はもちろんのこと、会社にいる若手を含めて比べても、ベストドレッサー賞ものであった。たとえば、車は1970年代のイギリスのツーシーターオープンカー、MGBに乗っているのである。
 あんな山岸課長の下で耐えているな、他部署の人にたびたびそう言われた 
 が、山岸課長も僕を買ってくれているということが、僕の組織人としての誇りでもあったのだ。
 あの、とんでもなく高いレベルを常に部下に求める山岸課長に、仕えて、耐えている。それだけでも凄い・・・

 僕と山岸課長の上司である営業企画部長の安木部長は、山岸課長とは正反対の人である。
 アイディアとか、独創とかとは無縁の人で、いわゆる「調整型」の大人の組織人であると言ってよい。
 それだけではない。企業人に必要な強さも持っている。数年前の業績不振時に、サイトやカタログの整理をやったのだが、人員整理を含めて、無事着地させて、いったんは赤字体質から脱却させたのは、当時、事業改革室の室長であった安木部長の手腕に負うところが大きいと言われている。
 まったく異なるタイプのふたりだ。もちろん、仲はよくはない。
 山岸課長の理想と、安木部長の現実が、いつも激突する。
 ふたりが直属の上司部下の関係になってから、もうすぐ一年。
 これまでは、お互いになんとか正面衝突を避けて、小さく譲歩しあってきたのだが、ついに、恐れていたその日がやってきた。

 安木部長は、新規サイトのプランに懐疑的だ。
 とくに、導入予定のインクジェットプリンターによるプリントの品質に不安があると言う。
 たしかに、染色堅ろう度が、うちの基準をやや下回る部分があるのである。
 山岸課長は力説した。
 これはまったく新しいファッションビジネスの業態であり、染色堅ろう度が劣ることは、お客様に啓蒙しながら販売すれば、問題はない。それに、革新著しいプリンター技術は、その問題も近い将来、必ずクリアするに違いない。とにかく、今、先頭を切って、うちがやるということが、何よりも大事なのだ、と。
「そんな言い訳が通用するのか? クレームのヤマになったら、新サイトだけでなく、本体も揺らぐぞ」
 安木部長はそう言ったのだが、山岸課長は、ふんと鼻を鳴らしただけであった。
――― リストラしか知らない、わからず屋の、臆病者め。
 きっと、そう思っていたに違いない。
 いつものように、安木部長は山岸課長のこの提案を否定はせず、動木(とどろき)取締役に相談するから、その人にプレゼンせよと言ってその場を納めた。
 
 そして、その取締役へのプレゼンの前日、山岸課長が退社した後に、僕は安木部長に呼ばれて、「骨を拾う」話をされたのだった。
――― お前が書かされた新サイトのプランはだめだ。社長や取締役会に諮ったら、舞い上がって採用されるかもしれない。だが、あのプランは、あまりに楽観的でリスクが高すぎる。やっと立て直した会社を、潰してしまう。明日、説明の後に、俺がお前の意見を聞くから、プリントの堅牢度にやはり問題が残っていて、今、取り組むには時期尚早だ、と言うんだ。
 僕は、はい、とも、できません、とも言えなかった。言いたいことはあったが、それはすでに山岸課長がプレゼンの時に、安木部長に話していた。
 それに、安木部長は僕の意見を求めているのではなかった。
 僕の意見がどうであれ、山岸課長を裏切れ、と言っているのである。
 そして、その見返りに、将来を約束されている自分が、僕の会社での将来を保証してやると。耳慣れない「骨を拾う」という言葉の意味が、想像どおりのものなのだとすれば、である。
 鋭利な刃物のような眼差しで突き刺し、僕の心を殺したと確信したのであろう、安木部長は多くを語らず、応接室を出て行ったのである。

 山岸課長の宿題を仕上げて家に帰った時には、11時を回っていた。妻の佳子が夕食にカツを用意して待ってくれていた。
 僕はいつものように缶ビールを一本開けて、ニュース番組をつけた。
 向かいに座った佳子は、僕の様子を探っていたようだが、やがて言った。
「ねえ、今、話、聞ける?」
――― 聞けない。
 とは言えない。
 僕が捉えられている罠がどんなものか、リアルに説明するためには、何時間も要る。
 僕はテレビから視線を引き剥がして、佳子の方を向いた。
「純ちゃんがね、公立高校、やっぱり、あそこで挑戦したいみたいよ。だめだったら、私立になるかもしれないけど、うち、家計大丈夫かしらね。家のローンもあるし、私、もうちょっとパート増やさなきゃだめかしら」
「俺の給料は・・・」
 僕は目を瞑った。
――― 山岸課長の下にいれば、副業などしている暇はない。転職? より条件の良いところに移るほどのスキルを身に着けているか、自分をほかの会社の人事部に売り込むことなどできるのか、まったく自信がない。会社で頑張って給与を上げてもらうしかない。立ち直ったとはいえ、会社は水面ぎりぎりだから、ボーナスや定期昇給に期待はもてず、唯一望みがあるのは、昇進して役職給与をもらうことだ。山岸課長についていけば、会社を劇的に生まれ変わらせることができるかもしれない。会社での出世や昇給も手に入るだろう。だが、それほどの成果をあげることができないまま終わるとすれば、山岸課長のこれ以上の出世はなく、安木部長の手を噛んだ僕の会社での将来は、真っ暗なものになる。安木部長の言う通りにすれば、安木部長が引き上げてくれるかもしれない。おそらく、会社の中でふたりの出世の見込みを秤にかけるとすれば、誰もが安木部長に軍配をあげるだろう。だが、心酔している山岸課長を裏切った自分を、いつまでも背負っていかなければならないのだ。山岸課長に睨まれ、憎悪されながら、この会社で働き続けるなどということに、僕の神経は耐えることができるのだろうか。
「悪い・・・ちょっと、会社でたいへんなんだ。その話は、週末まで待ってくれないか」
「会社がたいへん、って、いつもじゃない。私なんかと、話をする時間はないのね」
 佳子は怒って席を立った。

 もし、上司たちをタヌキとキツネのどちらかに分類するとしたら、動木取締役はタヌキそのものであった。
 応接室のソファに座ったのは4人。僕と僕の隣に山岸課長。僕の向かいが安木部長で、その隣に動木取締役。
 3人のただならぬ様子に、動木取締役はつまらない冗談をひとつ言ったが、その冗談は完全に黙殺されて、緊張の糸はさらに張り詰めた。
 安木部長に促されて、山岸課長がプレゼンの前振りを始めた。
「このプランは、ファッションビジネスの新しい業態を切り拓くものになります。そもそも、ファッションとは、人と異なるものを、だけど、多くの人がかっこいいと思ってくれるものを着たい、それに応えるものかと思います。たくさんの顧客のそういった要望に応えるためには、膨大なアイテム数が必要となります。が、ビジネスとしては、少数の売れ筋アイテムに集約しなければ、利益は望めません。このオンデマンド・システムであれば、その背反するニーズとビジネスを両立させることができるのです―――」
 僕はまだ迷っていた。
 どうすべきか・・・
 この会社に大卒で入れてもらって、今日まで8年間、自分なりに一生懸命働いてきた。誰のためとか、出世のためとか、そんなことを強く意識したことはなかった。お客様と会社のことをまっすぐに考えていれば、そういうことは自然と解決するものと思っていた。
 なぜ、こんなことになってしまったんだろう?
 大好きな上司を裏切って、有力者に取り立ててもらうか、有力者に背を向けて、心酔する上司の冒険にかけるか。
 正直に言って、僕は、今回のプランの成否に対して、いまだに、確たる判断がつかないのだ。
 もちろん、このプランには胸躍るし、大きな可能性を秘めているとは思う。だが、安木部長が言うように、品質面での弱点があり、それがどの程度お客様に受け入れられるのか、既存のビジネスにどんな影響をあたえるのか、大いに不安でもある。
 お前の意見はどっちだ、と訊ねられたら、どちらを答えても、本気半分、嘘半分となる。
 それでも、僕は、どちらかを選ばなければならないのだ。
 そんな日がやってくるとは・・・
「おい、栗田、なにぼんやりしてるんだ。説明しろ」
 山岸課長の怒りを抑えた声に、我に帰った。
「では、お手元の資料を元に説明させていだきます―――」
 プレゼンはうまく行った。大きな不安を抱えていたのだが、不思議と口は滑らかに回った。
 時に顔を上げた確認する動木取締役の表情は柔和で、同意の頷きをみせているように思えた。
――― このまま、承認されて、安木部長のあの質問はなくなってくれ。
 そう願いながら、僕はプレゼンを終えた。
 山岸課長がソファの上で腰の位置を変えて、補足説明を始めた。
 動木取締役は、やはり深く頷いている。
 山岸課長に促されて、僕は手提げバックから、プリントの見本を出して、動木取締役に手渡した。
「発色、精密さ、パソコン画面との色の一致、どれをとっても、問題ありません」と山岸課長。
 動木取締役がいくつか質問をして、山岸課長がそれに答えた。
 動木取締役は自らの結論や感想は言わないまま、ついに安木部長に水を向けた。
「どうなんだ?」
「ファッションビジネスの未来は、たしかにこういう形になるとは思います。そういう意味では素晴らしいプランです。ただ、やはり、染色堅ろう度が心配です。山岸君は売る時に丁寧に説明するから大丈夫だと言いますが、お客様はそういう説明をじっくり聞いてくれるものでしょうか。おそらく、そこは聞き流して、使ってみたあとに、色移りしたというようなクレームが頻発するんじゃないでしょうか」
 山岸課長は無表情だった。
 予想されたコメントだった。
 そして・・・
「で、栗田は、本当のところ、どう思ってるんだ? この染色堅ろう度で、後々問題になる心配は、ほんとうにないのか?」
 隣の山岸課長が驚いて、僕に振り向いたのがわかった。
「僕は・・・」
 乾いてネバネバした口から、心臓が飛び出しそうであった。
 

 そんな成り行きで、僕は山岸課長を裏切った。
 そのプランは、取締役会に諮られることもなく、お蔵となった。
 半年間、針のむしろのような状態に置かれた後、僕は安木部長の配下の重要ポジションの係長に異動昇進した。
 そして、何年も経った後、順調に昇進の階段を登った僕は、あろうことか山岸課長の直属の上司になった。
 裏切り者の部下としての半年間も、かつて心酔した上司の上司としての何年間も、僕は厚い仮面を被って、なんとか生き抜いた。
 山岸課長も、僕と同じく、いや、僕より何倍も厚い仮面を被ってしまい、本心を見せることはなくなった。
 だが、話はまだ終らない。
 僕らの会社は、その後ジリ貧で、縮小均衡を続けたあげく、大手小売業に救済合併されてしまったのである。
 すでに取締役になっていた安木取締役も、営業企画部長になっていた僕も、宣伝課長に止め置かれていた山岸課長も、全員がリストラで会社を去ることになった。
 当時主流にいた安木取締役や僕は、いわば会社を傾けた戦犯である。
 40歳を過ぎていた僕は再就職を目指して走り回ったが、専門的なスキルがない中高年の再就職活動は困難を極めた。いくら応募しても、書類選考で振るい落とされ、面接にまでも達しないのである。
 私立大学に通う娘の学費をどうすべきか、預金通帳の残高はいよいよ危険水域まで減っていた。
 そんな時、山岸課長から携帯に連絡があった。
 待ち合わせの場所に洗われた山岸課長は、あいかわらず愛車の古いMGBに乗っており、ピカピカに磨き上げられたクロームメッキが眩しく輝いていた。
 僕はかつてのように助手席に乗り込んだ。
 山岸課長は、企画会社を立ち上げていた。
 しかも、すでにいくつかの一部上場企業のクライアントを得て、事業は順調であると言う。
 細いハンドルを握り、忙しそうにギア・チェンジをしながら、山岸課長はこう言った。
「うちに来いよ」
 驚いた。
 裏切った僕を、誘ってくれるのか。
「冗談でしょう。僕は、あなたを裏切ったんですよ」
「そうか、そんなこともあったか」
 山岸課長はちょっと天を仰いだ。 
「雨だな」
 雨の一粒が僕の頬に落ちた。掌を返すと、そこにも、ひとつふたつ。
 フロントウインドウにも雨粒が斑点を描き始め、山岸課長はワイパーのスイッチを入れた。
「俺も、お前も、このMGBみたいなもんだ。急に雨が降ってくれば濡れるし、エンジンはオイル漏れ、幌とかあっちこちの部品がつぎつぎに寿命でいかれちまう。不便極まりない、世話のやけるポンコツだ。もちろん、今の車には、快適性でも、走りでも、ぜんぜんかなわない。でもな、いいところもあるんだ。それを説明するのは難しいんだけどな。まあ、俺も、お前も、このポンコツMGBみたいなもんだ。だろう? で、誰がなんと言おうと、俺が気に入ってりゃ、それでいいだろ? だから、来いよ、俺の会社に」
 僕は泣いた。
 本降りになりそうな雨に、山岸課長が車を止めて幌を上げる場所を探しているあいだ、顔に振りかかる雨が、僕の涙を隠してくれた。
  

 そこで、目が覚めた。
 どうやら、僕は泣いていたらしい。目をこすると人差し指が濡れていた。
 意識がはっきりしてくるにつれ、さきほどまで僕を包んでいた幸福感が薄れてきた。
 薄い掛け布団の手触り、少し汚れた白い天井、早朝の明かりがその隙間から差し込んでいるカーテン、隣のベッドから聞こえてくる佳子のかすかな寝息。現実の世界の輪郭がくっきりと立ち上がり、やがて、僕ははっきりと理解した。
 プレゼンで山岸課長を裏切り、会社で昇進したものの、会社自体が傾き、それでも山岸課長に声をかけてもらえた、都合10年以上に渡る物語は、すべて夢の中でのことであった。
 現実には、何も起きていない。
 そのプレゼンは、今日の、今日の2時からなのだ。
 僕はまだ、どちらを選ぶか決断してもおらず、否が応でも、数時間後に、その決断を迫られるのである。
 僕は芋虫のようにベッドの上で固く身を縮めた。
 まるで、そうすれば、また夢の中に戻れるかのように・・・

 いったい、僕はどうしたらいいのだろう。
 いったい、僕はどうしたらいいのだろう。