このどうしようもない世界にようこそ!
長女が出産のために2才の孫を連れて帰省中であった。
出産予定日までまだ1週間ぐらいあったが、昨夜、長女が「破水した~」と大きなお腹を抱えて言った。
自分の娘ふたりとひとりの孫の、いわば当事者であったはずの僕は、いつもその肝心なときにいなかったので、「破水した~~」がどんなものかわからない。
「パンツ、びしょ濡れ~~タオル持ってきて~~」とか、長女はのんびり言ってる。すわっと妻と次女がやってきて、タオルを探し、必要なものを確認しはじめる。
「持っていくものは~~?」と次女。
トイレに入った長女が答える「タンスのうえにポストイットにメモ書いてあるでしょ~~それ」
次女とそのメモをみつけたら、そこには『胎盤なんとかかんとか』という本とか、痛みをこらえるためタオルに結び目をつけたものとか、レッグウォーマーとか4つぐらい書いてあった。
「この胎盤なんとかっていう本どこよ?」と僕。
「タンスの上に立ててある本の中にあるでしょ~~」とトイレのドアの向こうから長女。
どうやら、破水というのは、真っ赤なものかとイメージしていたのだがそうではなく、水のようなものらしい。
それに、陣痛がまだなら、破水してすぐに生まれるというわけでもなく、救急車で運び込まなければならないものでもないらしい。
病院に電話した長女は、とくに焦る風でもなく、身体の状態を伝えている。
妻と次女は、ひとりが交互に2歳の孫を抱きあやしながら、用意していたカバンに、長女が言うままに、なんやかんや最後に詰め込んでいる。
2歳の孫を次女の手に残して、長女と嫁を乗せて数分先の病院へ急ぐ。
夜間入り口に横づけてして、言われたとおり長女を車椅子に乗せ、陣痛室へ。
「これ、見てよ」長女がエレベーターの中で大きなお腹を出して見せる「もう、皮膚が引っ張られて、ぎりぎりやったわ。よかった、ちょっと早い目に出てきてくれて」
たしかに、大きく膨れ上がったお腹には、ところどころが赤くなって皮膚がはちきれそうになっている。
時計を見たら22時過ぎ。陣痛はまだなので、明日ですねと助産師さん。
ともかく、陣痛が始まり、その間隔が10分から5分になり、1分になるまで子供は出てこないらしい。
すぐに、「いたた、陣痛かも」と長女。
最初の間隔は10分ぐらい。でも、それがすぐに5分ぐらいになった。
助産師さんがちょっと見てみますね、と言われて部屋から出て待っていると、「もう7,8センチに拡がっています。分娩室に入りますね」とのこと。
長女は立たされ、助産師さんに付き添われて分娩室へ。ほんの1時間ぐらいしかいなかった陣痛室の荷物をまとめ、僕と妻は廊下へ。
妻に感染防止のための上っ張りを着せ、分娩室へ送り込む。
僕は娩室から少し離れた外の椅子に座り待つ。
30分ぐらい経っただろうか。
「うわあ、痛いっ~~」と大きな叫び声が聞こえてきた。
そして、その叫び声がやんだと思うと、赤ちゃんの鳴き声が・・
22時に陣痛室へ入り、24時00分ちょうどに出産。
ありがたいことに、超安産だった。
で、出てきたのが、この男の子。
名前は「匠(たくみ)」と言うらしい。
彼が20才になるのは、2035年。
どんな社会になっているんだろう。
町を走る車の半数以上は自動運転になり、コンビニのレジには人間型のロボットがいて、アマゾンに頼んだ荷物はドローンが1時間で届けに飛んでくれ、身体の中に埋め込まれたコンピューターが病気になったらすぐに知らせてくれる。
しかし、南海大地震がきているかもしれないし、富士山が噴火しているかもしれないし、高齢化が悲観的な予想を辿ってすすんでいるかもしれない。
明るい未来になるのか、暗い未来になるのか、想像がつかない。
だけど、彼の少し不安そうな表情をみていると、思えてくるのだ。
どちらにせよ、僕らのチカラがおよぶ範囲のことはしっかりやって、彼に明るい未来を届けようと最大の努力をすることが、僕らの義務に違いないと。
ようこそ、この、どうしようもない世界へ。
でも、そうだな、せっかっく来たんだから、大歓迎だ。
ますますお爺ちゃんのオレサマも、もう少しがんばってみるわ。