感謝の気持ちで満たされた朝
僕が商売を始めた頃、お世話になったひとりの師匠がいた。
Mさんという人なのだが、歳の割には老けていて、仙人のように見えた。
でも、60才を超えても事業欲は強烈で、いつも自身の商売を拡大しようとしておられた。
いったんは鉄鋼か何かの会社を潰し、ホームレスにまで落ちぶれたと本人はおっしゃっておられたが、その後、古い着物が地域によってかなりの価格差があることに気づかれ、トラックで全国を飛び回って着物を売り買いしながら、見事に再起を遂げられた。
そんな天国と地獄を見た方だったから、僕のような会社員あがりものものは、赤子の手をひねるも同然だったのだろう。
さまざまなことを教えていただきながらも、お返しにたくさんの商品も買わせていただくことになった。つまり、甘いだけでなく、反面、厳しい商売人であったということである。
その頃、ちょうど何人かの新米の古着屋がいて、Mさんのお手伝いをしながら、また、儲けのチャンスをいただいたりして、それぞれが自身の商売を確立しようとしていた。そういう仲間たちは、僕とおなじように、厳しい面も見せることがあるMさんを、それでも師匠と慕っていた。
そんなMさんが、数年前にガンで亡くなった。
奥様のご意向で、お葬式はなかった。
僕や何人かの弟子たちの気持ちは宙ぶらりんになってしまった。
どうも気持ちが収まらないので、偲ぶ会をやろうかと、ふと言ってみた。
しかし、まだ時期が早いという声も出て、その提案はそのまま流れてしまった。
そして、そのまま、Mさんの遺影を前に集まることはなく、数年が過ぎ、現在に至っている。
じつは、僕は、その時に、誰がなんと言おうと、Mさんを偲ぶ会を開催すれば良かったと思って、いまでも後悔している。
僕が筆頭の弟子と目されていたわけではないし、誰が音頭をとって、いつどんな範囲でするべきかということについて、きっと、様々な異論が出たと思う。
だけど、誰もそれをしないなら、やはり僕がやるべきであった。
僕がそうしなかった理由は、さまざまなことを言われることや、予想される面倒や手間もあったが、もっとも本質的な理由は、そのイベントを「僕が音頭をとる」ということに対する恐れであった。
その勇気がなかったために、そのチャンスを永久に失ってしまった。
僕は今でもそのことを後悔している。
ところで、今夜は、出版記念のディスコパーティである。
自分が主催者になり大きなイベントをするということは、会社員時代の催企画以来のことだ。
やると宣言して以来、歓迎してくれる人ばかりでもなく、多少の紆余曲折はあり、辛い思いをした時もある。
だけど、みんなに感謝の気持ちを伝えるための良いチャンスでもあるし、なんとか開催にこぎつけることができて良かったと思っている。
もし、このパーティをしなければ、印税や韓国の翻訳権で得たお金が、僕の気持ちの中では宙に浮いてしまっていただろう。
そして、思いついたものの開催しなかったパーティのことを思い、死ぬまで後悔を引きずることになっただろう。
当日の朝、極度の緊張に襲われるのかなと思っていたが、いまのところは、お祝いに駆けつけてくれるみんなの顔を想像して、静謐な感謝の気持ちで満たされている。
ご参加いただける方、今夜はよろしくお願いします。
PS 読者の方で参加希望の方がおられたら、FBかTwitterで連絡ください。ただし、早い時間は一杯です。21時以降に来てくださるかた、歓迎します!
photo by Alice Popkorn