小さな会社を10年やってきて学んだ5つのこと
我が社の名前は「ICHIROYA」という。
変なダサい名前であることは認識している。
ちょうど僕が海外に着物を売り始めた時、イチロー選手がマリナーズで活躍を始めて大きな話題になっていた。それで「イチロー」という言葉を社名の一部に入れると「日本人がやっている何かだな」とわかりやすいかと思い、そういう名前にした。
2003年の11月に会社にしたとき、将来のことを考えて、もうちょっと日本的にもマシな名前にしようかと思ったのだけれど、なんだかそれも面倒で、ローマ字でそのまま「ICHIROYA」として登記した。
会社にしてから、いまでちょうど10年半ぐらいである。
10年半で色々と学ばせていいただいた。会社勤めをしていたころはあまり知らずにすませていたことで、僕がいままでに痛感していたことがあるので、そのうちのいくつか書いてみたい。
1.売れていてもその状況はあっという間に反転する
売れるやりかた、売れるアイテム、買っていただけるお客様をみつけて順調に売上を伸ばしても、状況はあっという間に反転する。大企業と異なり、落下の速度が急である。競争の少ないマーケット、いわゆる「ブルーオーシャン」をみつけたと思っても、すぐに競合が参入してきて「レッドオーシャン」と化す。そのスピードは想像していたよりずっと早い。
実感としては、1~2年。また、下げ止まらないのも特徴だ。
常に次の手を考えておかないと、はじめて「レッドオーシャン」と化したマーケットで右往左往しているうちに、憤死する。
2.小さなマーケットでは顔の見える相手と死闘をしなければならない時がある
できれば、あまり誰かと争いたくないと思っている。でも、小さなマーケットでは、やむなく死闘を演じなければならないことがある。
遠くにいてあまり知らない相手だとそれも気楽なのだが、すぐ近くにいる、ニコニコした愛すべきオニイチャン相手に、文字通り、死闘を演じなければならないときがある。
その餌を戦い取らなければ、自分はいいけど、自分の巣で待っているヒナたちに持って帰るものがない、というような状況である。
10年経っても、相変わらず辛い。慣れない。
3.人は去っていく
人は去っていく。
いったんは心が通じたと思っても、どちらかのせい(相手のせいもあるし、僕のせいもあるのだろう)で亀裂が入り、人は去っていく。
あるいは心に共鳴を残したまま、それぞれの新しい生活、それぞれの夢に向かって、人は去っていく。
4.救えない不幸を身近に知る
大企業に勤めているときには知らなかったような、とても不幸なひとの存在を身近に知る。
雇用して、暖かく見守ることだけでは、ぜんぜん救えないひとが。
救うつもりなら、その存在すべてを、トラブルも未来も一切合切を、自分の子供のように引き受ける覚悟が必要なひとが。
その無力感が、胸を刺す。
引き止めることができず、何年も前に去っていったあの人は、今、どうしているだろうか・・・
5.新しい友だちはできる
「独立したら、損得勘定だけが交遊の基準になり、孤独になる」と言う人が多い。僕も数年はそんな気がしていた。
でも、そんなことはない。
死闘を演じたライバルが、状況が変わってかけがえのない友人になったりするし、お取引先と信頼と友情が育つときもある。巣立っていった元スタッフのことを、懐かしく思い出すこともある。
小さな会社をしていても、友人はできる。
損得勘定から始まって、損得勘定を超えるのが、独立してからの友人と言えるのかもしれない。