Cool Japanを海外に売り出すために、やるべきことはたくさんあると思うが、置き去りにされていることのひとつに、『日本語の価値あるウェッブページを保存して、英語などの主要外国語で検索できるようにする』ことがあると思う。
たとえば、僕の業界の大先輩が先日ブログを始められた(『京都から古布のご紹介』のだが、その内容が凄い。
まだ、更新回数は少ないが、僕らのような日本のアンティークテキスタイルを好きなものにとっては、落涙を禁じ得ないような(!)内容だ。
その専門的な内容と詳細な写真は、図書館に行って調べようにも、とても辿り着けない内容で、写真も何枚も添付されており、書いてある内容が手に取るように理解できるのだ。
先日、調べものをしようと府立大阪図書館に行ったのだが、その時、あらためて、本と図書館のもつ機能性をウェッブベースのものと比べたときに、いかに貧弱なものかということを痛感した。(もちろん、信頼性など本と図書館が勝る面もあるが)
その時、結局、一日を費やしてほとんど必要な情報は得ることができなかった。
さて、大先輩のブログを見てあらためて思ったのだが、この先輩のブログは将来どうなってしまうのだろうか。
つまり、専門書に勝る情報を持ちながら、本のカタチになっていないため、何十年も先、先輩が亡くなったあとには、このままいけば、ブログは閉鎖されてページは霧消する。
ほんとうは、こういった日本文化に関する価値ある情報は、公的機関がそのページを保存して、後世に残すべきではないのか。
そして、それを英語化して、海外からも見れるようにするべきではないのか。
アンティーク・テキスタイルや着物に限らず、すべての日本文化に関する情報のうち、価値のあるものは、公的機関が少なくとも英語化して世界に発信し、かつ、後世に残すべきだと思うのだ。
「本」としてカタチに残るものは、エッセンスに過ぎない。そして、エッセンスが、現時点と後世で同じという保証はない。エッセンスを抽出して本にする間に、たくさんのものが滴り落ちてしまう。
そして、また、「本」にされない、これほど多くの素晴らしい日本文化に関するコンテンツがあるのに、そのほとんどは英語化もされず、海外のひとたちに届かない。
想像してみればよい。
僕らはアラビア語のページを検索して、アラビア文化を知ろうとするだろうか?
たとえば、北アフリカの文化を知りたくなったとき、アラビア語のウェッブページを見るだろうか?
翻訳ソフトがある程度の役割を担ってくれるにしても、そもそも、翻訳したいアラビア語のウェッブページに辿り着けるだろうか?
そもそも、アラビア語は、世界で3番目に多く使われている言語だ。
でも、日本語は?
僕らの日本語のウェッブページは、世界の多くの人にとって、宇宙人の書いたものと変わらぬ珍奇さで、世界からのアクセスを拒絶しているように見えているに違いない。
価値のあるウェッブページを選定して、それを保存することに、さほど労力とコストはかかるまい。
英語化するにはコストもかかるだろうが、ボランティアのちからを借りるとか、インデックスだけ英語化するとか、やりようはあるだろう。
現在、日本のライブな情報を海外に届けようとして、さまざまなひとたちが頑張っている。
いくつかの成功例は、日本に来る海外旅行者にとって必要な情報を伝えるもので、そのサイトが人気化することで広告収入を得て運営されている。
そういった情報ももちろん大切だけど、もっと本格的な文化的に意味のある情報を、効率的に発信する仕組みがない。
というようなことを常々考えているのだけど、僕はどこかで間違っているのだろうか?
それとも、偉いひとたちが、ウェッブの力と日本語の壁を見くびっているのだろうか?
あたなはどう思いますか?
photo from New Old Stock