今朝はじめて知ったのだが、アメリカでは、洗濯物を屋外に干す自由がない。
国や州のレベルでそれを禁止しているわけではないが、地域のルールとして、あるいは地主家主との契約で、禁止されているという。
乾燥機で乾かすのが常識とされているが、エコとかサステナブルとか太陽光発電とか叫びながら、乾燥機で電気を使うのは馬鹿げている。
屋根の上に太陽光発電機を乗っけて、わざわざ太陽光を電気にして、その電気で大きな乾燥機を回して洗濯物を乾かす。
おいおい、それなら洗濯物を太陽の下に干したほうが、どれだけ効率的やねん!
というわけで、さすがにそれは馬鹿げてるということで、「洗濯物を自由に干す権利を取り戻そう!」という運動が起きているようだ。
2009年ごろからいくつかの州で、「洗濯物を戸外に干すことを禁止することを禁止する法律」ができた。
が、話は簡単ではないようである。
かつては、アメリカ人だって洗濯物は外に干していたのだ。
だが、現在のアメリカ人の頭には、「洗濯物を干している光景」は目障りであり、もっと悪いことに「乾燥機も買えない貧困」を意味している。
そのため、家をもっているひとたちの多くは、「エコな生活」よりも、自分の物件が「洗濯物を干す」ような貧困層のひとたちの住む町にある、そのために自分の物件が安くみられる、ということを懸念する。
だから、外に干された洗濯物を嫌悪する大勢は変わらない。
もとはといえば、より多くの白物家電を売るために作られた乾燥機だけど、アメリカは乾燥機に完全制覇されてしまって、乾燥機を使わない洗濯物の乾燥というものが、もう完全に常識外になってしまっている。
長い間に刷り込まれた常識というのはほんとうに恐ろしい。
アメリカほどの土地があれば、家の裏手に小さな洗濯用を干すためのバルコニーをつくれば、町の景観をぶち壊しにするほどのことはないはずだ。
しかし、いったん「洗濯物=貧困」というイメージが固まってしまうと、そのように考えることすら、よほどの思考のジャンプが必要なようだ。
それをなんとかしたいとして、下に貼った動画がつくられたり、Project Laundry Listというような運動が行なわれている。
たしかに、よその国のことではあるが、なんとかして欲しい。
彼らの多くが外に洗濯物を干すようになれば、かなりのエネルギーの節約になるし、なによりも、そういうライフスタイルがこれ以上世界に広まって、豊かになった中国でもインドでも、みんなが乾燥機を使うようになったら困るではないか。
まあ、しかし、僕らもほかの国から見たら、とんでもないエネルギーの無駄遣いをしていることもあるかもしれない。
かつての経済成長が当然だった時代に生まれた固定観念や常識が、いかに僕らを縛っているかということについて、自らの行動を再点検してみたほうが良さそうだ。
■参考サイト
*Debate Follows Bills to Remove Clotheslines Bans
*Steven Lake: Drying for Freedom
photo by kittenishkitten