ICHIROYAのブログ

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勝たなきゃならない社会か、負けてもいい社会か

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by ucumari


ワタミのわたなべさんが、自民党から比例代表で出馬するということで、なにかと話題になっている。


わたなべさんの「ブラック企業ではない」という宣言や、それに対する意見で、共感が集まっているブログ「「疑わない」という怠惰について」(MK2さん)などを読んで、僕も少し考え込んでしまった。


わたなべさんの発言は、企業経営者としては仕方がないかもしれないが、政治家としては、どうなのよ、というMK2さんの考えに、おおむね同意するのだけど、でも、もやもやとしたものは残る。


わたなべさんに限らず、一代で大きな企業をつくった名経営者と言われるような人たちは、正々堂々と言う。
「勝て。勝てないものは、去れ」と。
しかし、必ず過半数以上の人たちは負けるので、MK2さんの言うように、勝てない人は、どうするんだ、ほとんどの人は、社会のお荷物なのか、ということになる。
で、「負けても、ぜんぜん構わない社会をつくろうよ」というごくまっとうな主張が繰り返される。


で、僕は、アマちゃんの経営者なので、常に悩んでいる。


ひとつは、「なにがなんでも勝て。でなければ、去れ」方式でなくても、会社を大きくすることができるのだろうか、ということだ。
まず、前提として言っておきたいのだけど、会社を大きくしたい理由は、個人的な金銭面の利益や名誉のためもないではないけど、最大の理由は、「より多くのひとに幸せになってもらいたいから」ということだ。
ああ、なんだか、わたなべさんの口調に似てるかも。
なんだかんだ言っても、会社や組織は、毎年、大きくしなければ、そのメンバーの給与や仕事内容をステップアップすることができない。
なんとか2割ぐらいづつ大きくしていければ、給与を上げることもできるし、喜んでもらえるお客様を増やすことができる。
MK2さんは、「俺みたいなぬるい考えじゃ拡大できないってのもまあそのとおりでしょう。だから俺には拡大の意志がねえんだよ」と書かれているが、会社に行って、スタッフのがんばっているところを見ると、僕の場合は、なかなかそうも割り切れないのだ。


会社員だったころ、よくこんな風に思っていた。
「経営者なら、こんなに死にそうなほど働かなくても、ちゃんと利益がでるように、考え抜いてくれよ。世の中には、素晴らしいアイディアがごまんとあって、独特の経営で生き残っているところが、たくさんあるじゃないか」と。
毎日、そう思って、腹を立てながら、長時間、死にもの狂いで働いていた。
でも、小さいながらも経営者の立場になってみると、それはそれで厳しい考え方だとわかった。
ジョブスみたいな特別な人間ならいざ知らず、クリエィティブなやり方というのは、そうそう簡単には生み出すことはできない。
たまたま、それが生み出せたところで、たいてい、すぐに真似されるし、すぐに真似をするようなところは、なりふりかまわずにやるので、あっという間にアドバンテージがなくなってしまうのだ。
そして、最終的には、「頭の勝負」から、「流す汗の量の勝負」「強面度の勝負」へと収束してしまう。
つまり、僕が言いたいのは、「経営者なら、汗の勝負でない道をみつけよ」というかつて僕が思っていた考えは、方向が逆なだけで、「勝て。勝てないものは去れ」と同じレベルの要求をしているようなものだ、ということだ。


もちろん、僕のいまの会社は小さな会社なので、「勝てないものは去れ」という方式で運営しているわけではない。
スタッフそれぞれが抱えている生活と僕や嫁の興味と生活、そして、お客様の利益の微妙なバランスの上に、なんとか成り立っている。
でも、会社を大きくするためには、「勝て。勝てないものは去れ」方式でやるしか方法はないのではないか、と日々、悩んでいるのだ。
リーマンショック後、会社の方向を変えて2年。
たくさんのお客様に支えられて、なんとか順調に伸ばせてきたものの、今のやり方のままでは、近いうちに天井に達する。
その時どうするのか、悩みは深く、答えは簡単に出そうにない。
それは、ワタミやブラック企業と称されるほかの企業の話ではなくて、僕自身の切実な問題なのだ。
(*ぼくがブログに、頻繁に、アメリカなどでの新しい企業のありかたやソーシャルビジネスのことを取り上げるのは、そこにヒントがあるかもしれないと思って注目しているからだ。)


ところで、MK2さんの記事の引用には続きがあって、「むしろ俺のやりかたで拡大できないんなら、それは社会状況のほうがおかしいんで、変えるならそっちだと思ってる」と書かれている。


その通りだと思う。
そちらを変えなければならない。
つまり、「なにがなんでも勝たなきゃならない社会」から、「負けてもいい社会」に変えなきゃ、っていうことだと思う。
で、困ったことに、こっちのほうが、もっと難題かもしれないな、と思ってしまうのだ。


もし、日本社会が、「負けてもいい社会」になったとする。
たとえば、「過半数以上のひとが、はっきりと、自分の生活はライフワークバランスのとれた満足のいくものだ」と思える社会になったとする。
が、そのとき、発展途上国の社会が、まだ、「負けたら早死にしてしまう社会」だったら、どうなるだろうか、と考えてしまう。
「負けてもいい豊かな社会」と「負けたら早死にしてしまう貧しい社会」が、その取り分を、どうやって、公正に分けるべきなのか。
資本主義とグローバリズムの下、「公正な競争」でその果実を奪い合う。
そんなことになって、なお、自分たちだけ「豊かな社会」でいることが、可能なのだろうか。


ユニクロ柳井社長の、先日の発言、「年収100万円も仕方ない」は、そのへんの事情を反映して、ごく正直に述べられたものだと思う。
とにかく、この問題も、突き詰めていけば、自らの欲、人間の業に突き当たる。
「負けてもよい社会」になるために、まず変えなきゃらないのは、僕らの「幸せ」「豊かさ」に対する考え方に違いない。
そして、残念ながら、変えようとしても、そこには、固い固い人間の欲の岩盤があるのだ。
発展途上国の病気で死にゆく子供たちの存在を知りながら、「年収100万円も仕方ない」に騒然となる。
自分を含めた、人間の欲と業の深さに、ついつい、絶望しそうになってしまう。


正論はいくらでも言えるが、簡単な答えなんかない。
たぶん、まったく、新しい価値観、世界の人たちとともに生きる哲学、知恵が必要なのだ。


なんだか、宗教めいてるな。


そういえば、昔、ある部下が、僕のことを評して、「教祖さんに、向いてますね」って言ってた。
「あんたは上司、経営者としちゃ、向いてないわよ」ってことを、言いたかっただけなんだろうけど。

締まらない結論で、申し訳ない。
とほほ。