中学生のような月並みな青臭い感想もまた良し!(映画「リンカーン」を見た)
映画「リンカーン」を嫁と見た。
見終わって、「どうだった?めっちゃ、良かったでしょ!」というので、「うん、良かったよ」と答えたら、「なんだか、気のない返事!」とがっかりされてしまった。
「誠実さ」がそのままDNAとなって人間を形作ったら、リンカーンになるのではないかと思われるほどの、リンカーン大統領。
しかし、そのリンカーンが、奴隷制度を廃止するための、憲法改正のために、いかに手段を選ばす、権謀術数をつかい、それを達成したかというストーリーには、大きな驚きがあった。
リンカーンほどのひとでも、下院でその修正条項を通すためには、理想論、正論を真っ向から突きつけるだけではだめで、役職をばらまいて票を得たり、嘘をついたりということも必要であった。
スピルバーグは、その一点に絞ってリンカーンと民主主義の礎が築かれる様を描ききっている。
この映画は、「映画としての感想」を一言二言で言うには、重すぎる、そして大きすぎる。
「映画」がどう、というよりも、「映画のなかで語られている事実」が重すぎて、簡単に感想なんて言うことができない。
リンカーンが銃弾に倒れたのは、1865年。
坂本龍馬が暗殺された2年前のことだった。
しかし、もちろん、人間の善意と自由、より良い未来を信じて、死んだ人間、命を投げ出さざるを得なかった人間は、彼ら偉人だけではない。
南北戦争では62万人が命を落としたという。
いま、僕らがここに至る前に、
ごく当然のごとく自由と選挙権を得る前に、
何十万人、何百万人、何千万人のひとが、人間の尊厳と未来を信じて、命を落としてきた事実。
いつも忘れてしまいがちだけど、やっぱり、それは重い重い、重すぎる事実だ。
月並みな、中学生のような感想になってしまうのだけど、
どれだけひどいことが起きようと、人類の将来に悲観の雲が広がろうと、
けっして、人間性への信頼と理想への情熱を失ってはならないと、
強く思うわけである。
しかしね、
そんな、中学生みたいな、青臭い感想、
50過ぎたおっさんが、熱く語ってもね・・・
やっぱり、「良かったよ」って、言うしかないでしょ!