インドの犬と日本の犬たちはどちらが幸せか?
きのうは休みをいただけたので、ラブを連れて、奈良の山奥に川遊びに行ってきた。
わざわざ、車の助手席に乗せてもらって、自分のために何時間もドライブに連れて行ってもらい、川遊びまでして、うんちをしたら拾ってもらい、まったく、うちのラブさんはいいご身分だ。
ところで、2年前に行ったインドでは、いろんなことを感じたけど、犬の多さにも驚いた。
ムンバイやアーメダバードなど、どこに行っても、野良犬がいる。
最近は、日本で野良犬に出会うことはほとんどないので、町中でどのように彼らに接したら良いかわかならなった。
たとえば、ムンバイの海岸で出会ったこの犬たちは、二匹で遊ぶのに忙しく、こちらからなにか愛想を振っても、完全に無視。
多少近寄っても、僕の存在はないも同然で、遊び続ける。
しかし、いつも無視、というわけでもなく、その後、町中を歩いていたら、何匹かの犬に急に吠えられた。
インドのひとは、慣れたもので、大声で叫んで追い払ってくれる。
どうやら、インドの犬たちは、僕ら夫婦を、日本から来た、餌をくれるわけでもない、アマちゃんと、完全に見切っているようである。
僕らのほうでも、彼らを気にしない、近づかない、という作法に徹することにした。
インドでは、野良犬といえども、命あるもの、として、むやみに殺処分されたりはしない。
ひとびとは、残飯を与えるなどして、適度な距離を保ちつつ、犬を放置しているようだ。
インド滞在中、野良犬が誰かに可愛がられていたり、そもそも、注意を向けられたりしているところに出会ったことがないので、犬と人間は、同じ場所にいても、ほとんど交わらない異次元に生活しているような感じだ。
犬たちも、毅然として、自分たちの人生をまっとうしているように見える。
しかし、もちろん、問題もある。
犬たちの糞が街中に放置されているし、最大の問題は、狂犬病だ。
なんと、毎年、1万5千人もの人が、犬に噛まれて、狂犬病で亡くなっている。(外務省のページ参照しました)
ムンバイの町で、僕らに吠えた犬たちに、足でも噛まれたら、狂犬病になってしまうかもしれないのだ。
冗談じゃない。
しかし、だからと言って、野良犬たちを、殺処分してしまえ、とならないところが、インドの凄さだ。
インドの犬たちは、飼い主を持たずに自由に生きる。
多くは、病気になって、短い寿命を終えるのだろう。
日本の犬たちは、飼い主に溺愛されて、生かされる。
そして、愛情が切れたとき、突然、ガス室送りとなる。
毎年、10万匹の犬が、そうして突然命を断ち切られる。
インドの犬と、日本の犬と、どっちが幸せなのかな、って、ラブを見ながら、いまでもときどき考える。
( 写真は 羽裏 琳派デザインの犬 )