24時間嫁といっしょは、ハッピーか?
・・・な、わけない。
というのが、世のご同輩の意見の大勢であるようだ。
反対に、旦那とずっと一緒はしんどい、というのも、どうやら奥様方の大勢らしい。
しかし、うちは案外、そうでもない。
嫁といっしょに自営業をしていて、24時間そばにいるが、ハッピーとは言わないでも、息が詰まるわけでも、いらいらするわけでも、うっとおしわけでもなく、まったく、フツウにそばにいる。
どうやら、嫁に聞いたところでは、嫁のほうでも、そんな風らしい。
大学時代の友人たちと話した時、そんなことを言ったら、みんなに仰天された、と話していた。
ま、嫁が本心からそう言っているのか、僕の莫大な遺産を狙って、そう演じているのかは、神のみぞ知る、ではあるが。
ふふふ。
ノロケじゃないんだ。
「30年近くも夫婦でいる」という偉業を成し遂げたのだから、ちょっと、夫婦関係に知ったようなことを書いても、世間から、そう指弾されることもあるまい。
たしかに、サラリーマンをやっていた頃は、24時間べったり嫁といるって想像したら、そりゃ無理だぜ!って思った。
会社を辞めて、自営業を始めた11年前。
案の定、毎日、毎日、喧嘩。喧嘩、喧嘩の毎日となった。
中学生と小学生の娘がいて、貯金はじわじわ減っていく。
偶然、ebayで古い着物を売って稼ぐ、という方法をみつけたものの、いつまでも、その稼ぎが続くとは、とうてい思えない。
食いつなぐため、次のビジネスのネタ銭を貯めるため、狂ったように仕事をした。
嫁にも、同じく睡眠4時間で、朝から晩まで仕事漬けの生活を強いた。
しかし、嫁には、仕事のこと以外に、家事、子供のこと、教会のこと、親のことなど、時間も気も使わなければならないことが、たくさんある。
おかげで、喧嘩の回数はさらに増え、激しいものになった。
2,3日に1回は、大泣きと金切り声の罵り合い、挙句どっちかが家を飛び出す。
そして、それも今は昔。
なんとか生活が安定した今。
喧嘩の回数は、激減した。
何に似ているかといえば、嫁は夫婦の片割れと言うより、ひとりの戦友のような・・・
自分たちと家族の居場所と、生きる糧をなんとか、世間のなかで確保しようと、激しく戦って、ともに生き抜いた、戦友のような気がしているのである。
もちろん、戦争体験のない僕は、ホンモノの「戦友」がどんなものか、知らない。
でも、たぶん、ともに生き抜くことを第一義に、ある期間生き抜いた友というのは、「生き抜く」こと以外は、気にならないようになるんではないか、と想像している。
「最近、ママ、激しすぎるわ。情緒不安定みたい。更年期障害じゃないかしら」
なにかだらしないことをして、嫁に激しく叱責された娘たちが、こそこそ言っていた。
たしかに、嫁も僕も50代前半で、そんなことがあっても不思議でない歳である。
しかし、娘たちはわかっちゃいない。
「あほ! あの程度で更年期障害とか言ってたら、ママは結婚したときから、更年期障害ってことになるやんけ!」
そうなのだ。
その程度のことは、アタマの上を通り過ぎるだけで、まったく気にならないカラダになってしまったのだ。
ともかく、そんな、こんなで、24時間嫁といっしょにいても、少なくとも、アンハッピーではないのである。
いまでは、嫁よりも長く生きてしまうことを、何よりも恐れている。
だから、自営業をしていて、「仕事もいっしょにして、24時間嫁といっしょにいるのは、息がつまって嫌だ!」と言っておられるのを聞くと、いやいや、修行が足りないだけですぞ、とひとこと余計なことを言いたくて仕方がなくなるのである。
修行?
そうそう、滝行みたいな、もんですな。
滝に打たれると、はじめは冷たさや、衝撃でとても苦しいが、それをこらえると、苦しさは徐々に消えてゆき、水に打たれる感覚だけが残るそうである。
夫婦関係も、二人揃って何かに耐えぬいたあとは、お互いの存在は、たんに心地よい「水に打たれる感覚」になってしまうのである。
いつもどおり、書き始めは意気揚々なんだけど、なんだか、嫁の顔がちらついてきた。
気にして、長く書けば書くほど、墓穴を掘っているような気がしてきた。
今日は、ここまで!
(写真は 修験道の着物:明治時代。夫婦関係の継続は修験道のごとく? )