ICHIROYAのブログ

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教えることと学ぶことを難しくしている壁について

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ひとにものを教えるのは、ほんとうに難しい。

大学時代、家庭教師を何人かやっていた。
なかにひとり、きゃぴきゃぴの中学生の女の子がいた。
算数は得意だったけど、社会や理科の暗記系は、きらい!と言い放って、ぜんぜん覚えようとしない。
暗記モノを、覚えれば覚えるだけ、試験の点数はあがる状況である。
その気にさえなれば、志望校の合格ラインにはらくらく届きそうである。

しかし、覚えておくように、といって宿題を与えてもらちが明かない。
仕方なく、教えている時間も、「ここを覚えること!」と言って、寝っ転がっていた。

お母さんが、心配した。
「あの・・・苦手なことをやるより、数学とか得意なものをやったほうが、いいんじゃありませんか?」
しかし、僕の決意は変わらなかった。
暗記ものはやればやるだけ点があがる。
得意な算数ばかりやっても、あがる点数は限られている。

寝っ転がっている間に、僕が、ついついうとうとしてしまうのも、お母さんは知っていたのかもしれない。
ふと気がついたら、2時間過ぎていた、ということも、時々あった。
いや、度々あったかもしれない。
慌てて起き上がると、彼女は、普段のきゃぴきゃぴぶりは封印したまま、本に目を落としてぼんやりしている。

そんなこんなで、僕のチカラ及ばず、彼女は志望校に合格できなかった。

彼女はいまは自営業で、バリバリやっておられるのだけど、この間会ったときに、しみじみと言っておられた。

「ああ、あのとき、もっとちゃんと、勉強しておけば良かった。がんばって、ぴかぴかの学歴にするんだった。あのころは、そんなこと、わかれへんし」


それにしても、と思うのだ。

誰かに何かを伝えたい、教えたい、と思っても、そのひとに、一番教えたいこと、伝えたいことは、おうおうにして伝わらない。

教えたい相手は、自分の視野のなかで、「信念」という思い込みをもって、言われたことを受け取る。
言葉は伝わっても、肝心の意味は、理解されない。
自分の視野と「信念」という立方形の鉄格子のなかにいると、外の世界のことは、理解しようとしても、理解できないのである。

社会に出て、管理職になり、親になり、雇用主になったら、たぶん、みんな、同じように悩むことになるんだと思う。
一番伝えたいこと、もっとも教えなければいけないことほど、相手には理解されない。
子供にも、部下にも、社員たちにも、そして友人たちにも。


このことは、教えてもらう立場でもある、自分の身を振り返っても、悔しいことではるけれど、納得がいく。

たとえば、いま、僕は事業主であるけれど、商売の規模は、10年かかっても、ちょぼちょば、である。
なぜ、ある事業主は、10年の間に、10億、100億への事業規模へと拡大していくのに、僕は同じところで、ちょぼちょぼとやっているのか。
ずばり「売上2億の会社を10億円にする方法」などと言う本を読んだり、講演を聞いたりする。
だが、わかったような、わからないような、である。
間違いなく、その一番重要なポイントは、言葉のかたちで、僕のアタマのなかに入ってきているはずなのである。
しかし、自分の視野や考え方の癖のせいで、もっとも肝心な点が理解できていない。
真に理解できていれば、いまごろは、ベンチャーの旗手として、もてはやされているはずなのである!

たぶん、大きな規模に伸ばしていった経営者が、僕の姿を見て、考え方を聞けば、なぜ、こんなに明白なことが理解できず、その方向で努力しないのかな、と思うに違いない。
ちょうど、僕が中学生の女の子を教えていたときみたいに。


ああ、なにか大切なことを学ぶのは、ほんとうに難しい。

 

 

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