僕って気色悪いですか
「初めて会ったときは、やけに、へらへらして、気色悪いやつと思った」などと、遠慮のないことを言う同業者がいます。
別のときには、「だからおまえは、面白味がないんだ」と助言してくれた、父親が僕と同世代のTくんです。
ふん、若造の言うことに、いちいち、反応してれるか、と自分に言い聞かせつつ、じつは、2、3日、「俺って、そんな意味なくへらへら笑ってるんかな?」と眠れない夜が続きました。
いま、こんな文章を書いているところを見ると、いまだに気にしているようでもあります。
そういえば、「そこまでやるかと言われて普通」という名言を残された鬼上司のFさんと、こんな議論になったことが。
ある日のこと、梅田の中央郵便局前の交差点を渡って事務所に向かう途中。
なにかのビラ配りのおねえさんが、ビラを配っていました。
僕は、いつもと同じように、差し出されたビラを、満面の笑みをもって受け取り、はっきり記憶がないのですが、ありがとう、などという言葉まで返していたような気がします。
もちろん、配っていた女の子は、ずっと、仏頂面を返されたり、無視されて長時間そうしているので、イケメンでなくても僕の笑顔は効きます。
僕を向いて、にこっ!としてくれました。
たまたま、後を歩いていた鬼上司が、その光景を見ていて、呆れかえったように言うのです。
「おまえは、アホか」
「え、なんでですか?」
「ビラ配りの、おねえちゃんにまで愛想をふってどうするんや。下心あるんか」
「いえいえ。無視しても、不機嫌に受け取っても、にこやかに受け取っても、時間も手間もかわりません。だったら、にこやかに、ご苦労さんって、感謝をこめて、受け取ってあげても、別に損はないです。そのせいで、あの娘が一瞬でも笑ってくれて、ちょっとでも、気分がよくなったら、あの娘はほかのだれかにやさしくできるかもしれないじゃないですか。だって、だれにとっても人生は厳しすぎます」
ついに、Fさんは立ち止まり、僕を向いて言ったのでした。
「おまえはほんまに、あほやな。おまえみたいなやつがおるから、意味のないビラ配りの仕事がなくなれへんねや。よく考えてみい。だれもビラを受け取れへんかったら、ビラ配りする意味がなくなって、あの娘は仕事を失うけど、もっと意味のある仕事にうつれるかもしれんやないか。しかも、捨てられたビラで街が汚れることもなくなり、いいことづくめや。おまえみたいな、刹那の親切が、結局は、社会を非効率にするんや」
さすがのFさんです。
まさに、本質はおっしゃるとおりです、とお答えして、以下の部分は、心のなかで呟きました。
常に高い高い目標を設定して突っ走る鬼上司のFさん。
毎日、イライラされているところ、いつも馬鹿なことを言って、ヨイショして、Fさんを大笑いさせているのは、誰でしょう。
気持ちよく仕事をしていただこうとして、一の子分(少なくとも、二の子分)の僕がどれだけ心をくだいているか。
それを刹那の親切と切り捨てるとは、なんたる言いぐさ。
幸福論のアランは、こう書いたというではないですか。
しあわせだから笑っているのではない。
むしろぼくは、
笑うからしあわせなのだ、
と言いたい。
どう生きようと、人生は、不条理、不幸、不平等、絶望、労苦、苦痛に満ちています。
「笑い」以外に、それに立ち向かう武器があるでしょうか。
へらへら、だろうが、にたにた、だろうが、わっはっは、だろうが、そんなことには関係なく、笑えば、幸せになるのです。
幸せになろうって、まじめに、考えても、ちっとも幸せにはなりません。
明るい気分になろうって、一生懸命、明るく、明るくって思っても、明るい気分になれた試しがありません。
でも、何かおもしろいことを探して、笑ってみることは、自分の意志でできます。
声を出して笑ってみると、そう、心は晴れて、なんだか弾みだすのです。
それはそれとして、僕のこのブログ笑えますか?
大いに笑える、と言ってくださるかたもおられますが、アクセス数の伸びをみていると、ツボが似ているかたは、少数派なのかな、とも思います。
ふん!
でもいいんです。
僕の文章は、僕の笑いのツボどんぴしゃなので、読み返すたびに、自分で吹き出してしまうのです。
少なくとも、その度に、僕は幸せになっていくのですから。
あ、Tくん、たしかに、僕って、気色悪いやつかも!