ICHIROYAのブログ

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師匠みたいに生きて死にたい

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ベルベット打掛 伝統なんてぶっとばせ!

先日、古本屋で、ある本にようやく出会った。

「原色染織大辞典」

 4年前、あまりしつこく質問する僕に業を煮やして、師匠のカンザワさんが、「これを買え」といって僕の手帳を奪い、書き込んでくれた本だ。 
 絶版になっていて、そのときは買えなかった。
 いまやっと、その本に出合えた。

 古着業界では、最長老のカンザワさん。腰は直角に曲がっているし、リューマチのせいか、長い指も曲がって、70代後半にみえるおじいちゃん。いつも白の下着のシャツに腹巻を巻いて、露天で古着を売っていた。
顔とカールした髪はキューピーみたいで、大きすぎる遠視用メガネのうえから、かわいい目でいつも微笑んでくれた。

 弘法さんなどの露天の日には、着物のことはなにもわからないぼくは、カンザワさんの店に朝一番に行く。あれこれ選んで、すべての着物について、しつこく 質問。答えを手帳に書き込んでいく。もちろん、18才から着物屋だったカンザワさんは、そのへんの誰より、着物に詳しい。なんでも教えてくれる。ぼくがあ まりしつこく聞くので、ついに、ぼくの手帳に書き込まれたのがその本のタイトルである。

 弘法さんでは、カンザワさんの店のあとに、ほかの店もまわって仕入れをする。帰りにカンザワさんの店で買ったものを引き取りにいくと、いつも、僕の買っ たものを全部広げさせて、よいものか、価格は適正か、アドバイスしてくれた。ぼくは、ありがたく、また、全部、メモをとる。

 曲がりなりにも、いま、商売ができているのも、そのときカンザワさんが、惜しみなく、ノウハウを教えてくれたからだ。
 ぼくの、生まれた初めて出会った、ほんとうの師匠。

 「税金なんて納めるな」というのも、カンザワさんの口癖だった。「お上の言うことなんて、信じたらあかん! 戦争で何人殺された?」
 にじみ出る不羈独立の精神。
 ずっとあとで知ったことだけど、カンザワさんはバリバリの共産党員で、ある地区の商業組合長を長いあいだやっていた。

 店に買いにおしかけると、打掛は店になく、停めたバンのなか。バンは走りそうな気配はなく、犬がバンの下につながれていた。店は商品で山積み。シャッターの前にまではみだしていた。
 「盗られませんの?」と聞いたら、笑って首を振っていた。
 盗られるどころか、近所のひとが店のまえに、夜のあいだにいろいろなものをおいていく。売れそうにない人形とか、洋服まで。

 商談をしていると、アル中か浮浪者のようなひとが店にあらわれ、昨夜、シャッター前においたモノについての話が始まる。ぼくの目には、どうみても価値のないとおもわれるモノにまで、カンザワさんはお金を握らせてやっていた。

 商品は、どんどん送られてもくる。「いるのだけとって、いらんのは送り返したらええねんで」といわれたけど、なるべくがんばって、返さずに売った。売っ たら「力あるなあ」とほめてもらえて、また、気がつくと、どっと荷物が送られてくる。ますます、厳しい。でも、なるべく、がんばって、カンザワさんに認め てもらえるように、売る・・・

 そうやって、商品を送りつけられているのは、ぼくだけじゃなかった。あとで聞いたら、この業界の有力な先輩何人かが、おなじように商品をおくりつけられて、必死の思いでがんばっていたらしい。

 カンザワさんは、日本一の着物古着屋だった。何十年も一線で働き続け、雨のときも風のときも、露天を続け、商品を売り続けた。なんのために?
きっと、カネのためじゃない。ぜいたくもしなかったし、財産なんて残さなかった。カネは全部、着物を買うのに使った。買取を頼まれたら、相手の状況をおも んばかって、無理な金額の買取もした。わけありの倒産品をわざわざ相手のために高い金額で引き取って、自分の客、後輩に頭をさげて、相場より高い値段で 買ってもらったりしていた。

 ぼくを助け、多くの先輩を助け、だれも頼らず、古い着物の売買だけをして、70数年を生きた。

 2年前の弘法さんの露天の帰り、ちょっと疲れた、と息子さんに言って、いつもより早く、床についた。
 朝、むすこさんが起こしにいったら、カンザワさんは冷たくなっていた。

 師匠! やっと、教えていただいた本、手に入れましたぜ!
 ぼくも、師匠みたいに、生きて、死にますからね!
 ほんとにありがとうございました!