ICHIROYAのブログ

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短編小説15 『散髪屋のジョー』

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 ありふれた土曜日の夕方、僕はいつものように理髪店「城(じょう)」へ散歩がてら出向いていった。
 いつもは電話で予約してから行くのだが、その日はなぜか電話は鳴り続けるばかりで、誰もとってはくれなかった。店主の城以外に、男の子がふたり、女性スタッフがひとりいる。皆が洗髪中で誰も電話をとれないなどということはないはずだ。そんなことははじめてだし、きっと電話線か電話機のトラブルかと思い、とりあえず行ってみることにしたのである。
 西の空が赤みを増し、汗ばんだ腕や首筋をなでる夕暮れ時の風が心地よい、六月の上旬の一日だった。
 遠くからストライプ電飾看板が回っていないことに気がついた。シャッターも降りたままになっている。
 理髪店「城」が突然に休むことなんてありえない。
 理髪組合が決めた休みである月曜日と第二第三火曜日、それに年末年始とお盆にほんの2、3日の追加の休み。それ以外に理髪店「城」が僕の期待を裏切ることはありえない。何年も、何年も、ずっとそうだった。
 店の前に立って驚いた。
 やはり、店名と電話番号の書かれたシャッターが降りたままで、電飾は光りも回転もしていない。
 途方にくれた僕は、まず自分のアタマを疑った。
 曜日を間違えているのか。いや、会社に行っていない今日が、月曜日であるとか、火曜日であるはずがない。あるいは、ジョー(いつからか、店主の城さんのことを、僕は心の中で「ジョー」と呼ぶ)から臨時の休業を聞いていたのに、忘れてしまったのか。いや、それもない。もし、いつものように理容椅子リラックスしすぎて、眠りの世界にはいってしまい、夢うつつで聞いていて忘れていたとしよう。それなら、張り紙のひとつもあっていいはずである。
 理髪店「城」は、張り紙のひとつもなしに、臨時休業するような店では、けっしてない。
 
 いったい、何年前から、理髪店「城」に通っていただろう。
 今の家に引っ越す前、ショッピングセンターの裏にある大規模マンションに住み始めた頃に、その広い駐車場に隣接する場所に建った3階建てのビルの1階に、理髪店「城」をみつけたのだ。ショッピングセンターの中にも理髪店はあったのだが、いつも混んでいて子どもたちも多かった。理髪店「城」に入ってみると、ゆったりした店内に、静かなジャズが流れ、店主の城は余計なことは言わず、望み通りの髪型にカットしてくれた。髪を切った後には、窓際に設けられたリラックススペースで、コーヒーのサービスもあった。そのテーブルは太い木製の天板を磨いたもので、ウェッジウッドのイヤープレートが飾ってあり、広いガラス越しに木漏れ日が静かにこぼれおちてきて、なんとも言えない豊かな気分になるのであった。
 ショッピングセンター内の理髪店より、やや高い目の価格設定ではあったが、僕はとても満足し、以降、かならず理髪店「城」に行くことになった。
 数年は通ったに違いないと思って数え始めてみたら、マンションから引っ越してきてからすでに10年、そのマンションに住んでいたのが10年程度だから、合計20年の間、一度も浮気せずに理髪店「城」に通っていたことになる。
 20年。
 正確にその長さを数えてみて、心底驚いた。
 その日まで、理髪店「城」はなんの心配もなく、ただ必要な時にずっと存在していたので、どれほどの期間お世話になってきたのか、考えてみたこともなかった。
 20年前、僕はまだ30代前半で、ふたりの子どもたちも小学校にあがる前であったはずである。
 店主のジョーは、僕とほぼ同年代の男性だったから、この20年間、30代前半から50代へと同じように歳をとってきたことになる。熊のプーさんのような、ちょっと小太りで、いつも優しい笑顔で出迎えてくれたジョー。

 その理髪店「城」が、閉まっているのである。
 僕は途方に暮れた。いったい、どうしてしまったのか。こんなに髪は伸びてしまっていて、会社のセレモニーを控えて、その週末になんとしてでも散髪をしないといけないというのに。いったい、僕はどこへ行けばいいのか。ほかに行くべき理髪店など、まったくアテがないではないか。
 言うまでもなく、店名は店主の苗字「城(じょう)」から取られていた。
 僕が名前を呼ぶときは、「ジョーさん」もしくは、「店長さん」であった。
 ジョーは僕のことをよく知っていた。
 というのも、ジョーは理髪の技術も一級だったに違いないが、営業力が抜群であったからだ。
 散髪中の話題のほとんどは、僕のことであった。
 僕はたいてい会社や家庭のわだかまりをいくぶんこじらせて、あのどっしりした理容椅子に腰掛けて目を閉じる。「あの厳しい上司、お元気ですか?」とか、「上のお嬢さん、高校受験どうでした?」とか、「肌が荒れていますが、ちょっとストレスためておられるんじゃないですか」とか、「夫婦の日ですね、笑うしかないですね」などと、そのこじれた糸を解きほぐすように、ジョーはいつも話の水を向けてくるのであった。
 もちろん、すぐにリラックスモードに入いる僕は、つらつらと愚痴をこぼしはじめる。
 ジョーは恐ろしく記憶力が良いのか、あるいは、客が帰った後にすぐにメモでもとっているのか、いや、ひょっとしたら、話の内容をそのまま録音して聞き返しているのではないかと思えるほど、そういう話を覚えていて、話は重複することなく、先に先にと進んでいく。営業力のある人や、多くの部下を抱えるポジションにいる人のなかにそういう人がいることは知っていたが、ジョーはどんな手段を使っているにせよ、正確に話したことを覚えていて、話を継いでくるのである。
 そして、たとえば、ジョーが短いお盆休みにどこかへ旅行に行った時など、僕が趣味で集めているぐい呑みを買ってきてプレゼントしてくれたりするし、毎年いただいていた理髪店「城」の年賀状には、必ずその時々の僕の状況に関係する励ましやいたわりの言葉が添えられていた。
 そういうことは、僕に対してだけではなく、営業活動として、すべての客に行っているに違いなかった。
 もちろん、そう思えるほどには、僕も世慣れていた。
 しかし、彼のその営業力たるや、僕の勤める一般的には有名有力と思われている大企業にも、彼ほどの営業力のある人はいないと思わせるものであった。

 世の中の多くの会社員の人たちと同じように、僕も中間管理職としてひどく苦労し、気分的に迷走に迷走を重ねた時期があった。
 その頃、自分の店を持ち、職人として自立しているジョーのことを、どれほど羨ましく思ったことだろう。
「ジョーさんが羨ましいな。僕も脱サラしようかな」
 ジョーは熊のぬいぐるみのような顔でニコリとすると、言うのだ。
「僕は安田さんが羨ましいですよ。誰もが知ってる大きな会社に勤めて、大きな商売してるんでしょう? 僕なんか、何年頑張っても、相変わらず、豆みたいな商売です」
「いや、でも、自立しているっていうのは、それだけで最高なんだよ。商売の額が大きくたって、会社の看板で商売してるだけで、僕がいなくなっても、すぐに替りが現れる。でも、ジョーさんの場合は、ジョーさんでなければっていう、お客さんばかりだ。僕には、その方が、ずっと羨ましいけどな・・・」
「いや、でも、ワクワクするようなことがありませんよ。これまでもずっと、これからもずっと、この場所のこの店で、同じ仕事です・・・なんだか、この場所に監禁されているような気になる時もありますよ。美容室と違って、競争が少ないから、無理しなくてもいいっていうのはありますけど、無理して頑張ったところで、この店に来てくれる可能性のあるお客さんの数は限られてますしね」
 僕はちょっと無礼かと思ったけど、つい口に出して聞いてしまった。
「つまり、安定してるけど、大儲けはできないから、退屈ってことかな?」
「ええ」
「店を増やしたら?」
「僕はひとりしかいませんしね。それに、もし、店をつくることができたとしても、お客さんは限られてますし、新しいお店を作っても、ほとんどのお客様は、それまで通ってた店を乗り換えたりしてくれないでしょう?」
 なるほど。僕にしても、理髪店「城」を見限って、ほかの理髪店に行くことなど想像もできない。
「そうか・・・将来に目標とか、夢は?」
「そうですね・・・安田さんとか、いま通ってくださっているお客様と一緒に、静かに、元気に、身奇麗なまま、歳を重ねていけたらいいなとは思っていますけどね」
「教科書的だなあ」僕は笑った。
「もうちょっと、派手なのないの?」
 ジョーはバリカンのあとをハサミで整えていた手をちょっと止めて考えているようだった。
 そして、言った。
「どかんと大金を儲けて、どこか暖かいところで、ビーチに座って、ずうっと、のんびりしていたいですね。プーケットとかで・・・」
 
 僕と理髪店「城」との20年に渡る関係は、そういった、表面上は蛋白なものであったが、僕が物理的にも心理的にジョーに負っていたものは、かなり大きなものであった。
 そして、店がなくなってはじめてわかったのだが、それは完全に一方通行のものであった。
 僕はジョーのことをほとんど知らないことに改めて気づいた。
 どこに住んでいるのか、家族がいるのか、出身地はどこか、どうやって店を開いたのか、なぜこの地だったのか、趣味はなにか、どんな車に乗っているのか、店にいた女性を含むスタッフとの関係は。
 理髪店「城」とジョーは、いつでもそこにいたから、安心しきった僕は、たまに話題をジョーのことに振ってもはぐらかされたまま、いつか聞いてみようと先延ばしするだけで、真剣に聞いてみようとも思わなかったのである。

 その日、僕はやむなく他の理髪店を探して行った。
 案の定、その理髪店は僕の好みではなく、僕は未練たらたらで、その後も、わざわざ遠回りして、理髪店「城」のあった店の側を通った。が、やはり理髪店「城」のシャッターがあれ以来、二度と開けられることはなかった。
 理髪店「城」が閉店したことは、誰の目にも明らかになった。
 その頃知ったのだが、認知症になって介護が必要になり引き取って一緒に暮らしていた妻の父を、ヘルパーさんが連れて来てくれるのは理髪店「城」だった。ヘルパーさんが、認知症の人にも優しく対応してくれた理髪店「城」の閉店を嘆いた。
 それにしても、いったい、なぜ、理髪店「城」は突然閉店したのか。
 僕と同年代のそろそろシニアと呼ばれる年代に近づいているジョーが、急病で亡くなったということはありえた。あるいは、亡くなりはしないにしても、入院が長引いていることも考えられる。
 あるいは、老親に急な介護が必要となり、故郷に急遽帰ったということもありあえるかもしれない。
 なにか情報があるかもしれないと、何度もネットで検索してみたが、やはり情報はない。せめて、ジョーのフルネームや、出身地をなぜ聞いておかなかったのかと、悔やまれた。
 それにしても、ジョーの顧客に対するそれまでの対応からして、一言の連絡も張り紙もない、ということは最悪のケースを想定しなくてはならないかもしれなかった。
 僕は徐々に理髪店「城」がこの世から消滅したことを受け入れつつあった。

 その日から3か月、3軒ぐらいの理髪店や美容室を巡り、どうにかその中の一店に落ち着いたころ、見知らぬ男性が、夜、帰宅後の我が家に訊ねてきた。
 驚いたことに、地元警察の刑事一課の刑事であった。
 キッチンで食べかけていた遅い夕食を中断して、刑事をリビングルームに招き入れた。垢抜けしないスーツ姿、そう見えたおそらくその最大の理由は白い靴下のせいなのだが、十分イケメンで通る若い刑事は、来訪の理由をこう説明した。
「ここ1年ぐらい、所轄で空き巣が増えてましてね。なんだか、狙いすましたように、能率よく高額品をいかれてるんです。たとえば、3か月前には、億を超える価値があるという古い中国の掛け軸が、いかれました。被害者の言うとおりの価値があったのか、今となってはわかりませんが、その方の祖父が中国から引き上げる時に持って帰ってきたものだとかで。複数の古物商の鑑定の結果、間違いないそうです。僕は空き巣や窃盗を担当してるんですが、所轄の空き巣を調べていくうちに、いくつかの高額物品の空き巣に、共通点があったことに気がついたんです。ほら、ショッピングセンターの駐車場に面するところに、『城』という理髪店があったでしょう。何人かの被害者は、その店の客で、ちょうど、店で散髪してもらっている間に、被害にあっていたんです。あなたも、理髪店『城』の常連でしたよね。通話記録から、あなたのことがわかりました。で、お勤めとか、家族構成とか、前科とか、だいたいのことも調べさせていただきました。いや、あなたに何か疑いをかけているってわけじゃないんです。あの店で散髪をしてもらっている間に、高額品を家に置いているとか、そういう話をしたことはないですか?」
 家にある高額品と言えば・・・昇進したり、結婚10週年など、時々の記念に買い集めてきた、アンティークのロレックスのコレクションがある。
―――その話をジョーにしただろうか? 
 僕がアンティークのロレックスをして椅子に座れば、ジョーが見逃すはずがない。必ず気がついて話題にするだろう。確信はない。でも、おそらく、訊ねられて、古いロレックスをいくつか持っていることを話した。別のタイミングで、おそらく、日曜日の午前中は、たいてい妻は教会に行っていて留守だという話も。
 僕は慌てて立ち上がり、寝室に走り、ここ半年ほど開けてみなかった、タンスの小引き出しを開けた。
 僕の唯一の現物財産のロレックスのコレクションは、まだ、そこにあった。
 寝室の戸口に刑事が立って、安堵の息をついている僕を見つめていた。
「だいじょうぶでしたか?」
「ええ」
 
「確たる証拠はないんです」とリビングに戻り、ソファに深く身を沈めた刑事が言った。
「空き巣の方はその物理的な手口から、だいたいあたりがついているんですけど、どうやってホシが確実な情報を得ているのか、不思議だったんです。安田さんも、理髪店『城』で散髪してもらっている時、城にいろんな話をしましたか」
「ええ、たしかに・・・」
「どうやら城はその情報を元に、被害者が散髪に来ている間に、仲間を家に向かわせて、めぼしいものを奪わせていたようです。そうでなけりゃ、中国の古い掛け軸の一件も、あれだけ狙いすましていかれるはずがありません」
「で、ジョーは、いま、どこに?」
「バンコク行きの飛行機に乗ったところまではわかっていますがね。空き巣の実行犯のホシの方は押さえているが、今のところ、証拠はないし、こいつは海千山千でね。起訴まで持っていけるかどうか・・・ともかく、城をしょっぴいて吐かせないと、拉致があかないんですよ。けど、城の逃げた先がタイだから、犯罪者引き渡し条約も結ばれていないし、インターポールに依頼するにしても、証拠が薄弱でね」
――― プーケットにいるかもしれませんよ。
 僕はそう言いかけて口をつぐんだ。

 ジョーが悪人である、窃盗犯の仲間であって、自分の客から億を超える価値のある掛け軸や、そのほかの金目のものを盗んだという話は、すんなりと僕の胸には落ちなかった。
 僕にとって、そしておそらく、すべての理髪店「城」の常連にとって、ジョーは、いつでも思いやり深く話を聞いてくれる素晴らしい友人であった。
 いや、友人であると思っていたのは、客であることの傲慢さ故だったのかもしれない。
「同じ場所、同じお客様、同じ仕事、大きく稼ぐチャンスは一切ない。まるで牢獄」と、たしかにジョーは僕にこぼしたことがあった。
 ひょっとして、顧客にとって20年以上もかけがえのない存在だった理髪店「城」は、ジョーにとっては、本当に牢獄のようなもので、これからの20年も同じ生活が続くということに、窒息しそうになったのかもしれない。
 まるで盲導犬か、女王陛下の執事みたいに、馴染み客である僕らはジョーを扱っていたが、ジョーの気持ちをリアルに想像してみたことはなかった。
 そうでなければ、たとえば、僕が、ジョーの名前すら、住んでいたところすら、その家族構成すら知らなかったはずがないではないか。
 刑事の言うところによれば、ジョーのプロフィールを知らないのは、僕だけでなく、長年の常連客は等しく、僕と変わらない状況だったそうだ。

 刑事はめぼしい情報を手に入れることなく、我が家を後にした。
 それにしても、僕には、ジョーが、素晴らしい友人であったという事実を、完全に否定することができなかった。 
 すくなくとも、きっと何度もチャンスのあったはずの、僕のロレックスのコレクションは、手付かずで残されていたのだ。
 盗品の中国骨董ならば、タイや周辺国で換金するのはさほど問題はなさそうである。それ以外にも、相当な額を盗み集めたのであろう。
 それを空き巣の実行犯と折半するとして、いくら手元に残るのだろう。せいぜい、一億円か。
 はたして、50才前半の僕らにとって、一億円を懐にした、プーケットの海岸での、死ぬまでのリラックスタイムというのは、どれほどの価値があるのだろう。
 会社勤めの牢獄から逃れられない僕にしても、魅力がゼロとは言い難い。だが、友や仕事や日本の自然や故郷をすべて捨てて、それを取りに行くかといえば、かなり怪しいものになる。
 いったい、ジョーは、ほんとうにそんなことを自ら望んだのかな、僕は納得いかないままに、その事件のことを考えるのをやめた。

 一年後、海外から薄い封書が届いた。
 宛名は僕のものがローマ字で書かれていたが、差出人の欄はどうやらタイ語らしく、まったく読めなかった。
 封を切ると、一枚の写真が出てきた。
 誰あろう、あのジョーが、派手なシャツを着て、ケープで身体をおおった色黒の男性の髪を切っているところであった。
 裏返すと、そこにはこう書いてあった。


 「楽園で、結局、また、散髪屋になりました」


 あの刑事に電話をするべきとわかっていながら、僕はいまだに電話をできずにいる。