ICHIROYAのブログ

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あなたにとっての「理想の休みの一日」とは?

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 なにかと用事がつまって、休みらしい休みのない日が続いている。
 休みと言っても、いま僕が言う「休み」とは、ほんとうにすべての仕事や家族の用事などからすべて開放された、自分のためだけの休暇のことだ。
 仕事が暇なときはそんな日もつくることは容易なんだけど、容易につくれるとなるとそれはそれで退屈に感じてしまったりする。
 忙しくて休みのとれない今こそ、そういう一日は輝きをますし切望してしまう。

 僕にとっての「理想の休みの一日」ってどんなものだろうか。
 もし、そんな一日が来週の末にでもとれるとしたら、どんな風に過ごすだろうかと考えてみる。

 ラブを連れて渓に行く。
 夕まずめライズをみつけた僕は、フライロッドにドライフライをつけてロングキャスト。
 狙い通りにフライは水面に着水し、ゆっくりと淀みと流れの間を流れていく。
 ラインがその流れを邪魔しないように慎重にメンディングする。
 そして、フライのあたりが少し盛り上がったかと思うと、小さな音を立ててフライが水中に消える。
 ラインを張ってフッキングする。
 引き寄せたアマゴは30cmを越えようかという大物で、ネットに無事収める。
 ネットの中で身をくねらせるアマゴにラブが興奮して吠える。
 あと2,3匹釣って、僕は竿を納める。流木を拾い集めて河原に小さな焚き火をつくり、アマゴを焼く。
 バッカスのウィスキーのボトルから一口飲んで、アマゴにかぶりつく。
 隣に座っているラブに1匹投げてやる。
 揺れる炎と水の流れる音。そして、鳥や鹿の鳴き声。それを見上げれば、満天の星。 


 なんだか、実現しそうな休日だが、完全完璧120%不可能である。

 まず、そんなポイントを知らない。
 最近はとくに土日にしか行けないので、ここ関西では、よそ者が行ける釣れそうな川というのはどこも満員である。満員というと不思議な感じがするかもしれないが、川というのは長いようで道路から降りれる場所は限られており、よほど朝早く行かないとすでに誰かが入っているのである。しかも、渓流釣りは繊細な釣りで、先行者がいると魚が警戒してしまってとても釣りにくい。
 それに関西の釣れる川というのはかなり山奥で川幅が細い。僕のラインキャストの腕では狙った場所にラインを落とすより、後ろの樹々にひっかけてしまう場合のほうがずっと多い。
 とにかく、狙いどうりに魚ががぶっ!とということは、ほとんどない。何日も何日も通って穴場をみつけたり、釣り場まで3時間も歩かなければならない場所なら、そういうことも可能かもしれないが、その一日に狙ったように釣るのは、僕の腕では不可能である。
 そして、結局、ミミズかイクラの出番となってしまうのである。

 ラブを連れて釣りに行くというのも難儀だ。
 山奥とはいえ川には誰かがいるので、ラブのリードを離して、僕は釣りに専念というわけにもいかないのである。彼女は人好きだから、人と見れば擦り寄っていくのでどんな迷惑をかけてしまうかわからない。喜んで飛びついて人のサングラスをふっ飛ばして壊してしまうはラブの得意技だ。
 しかも、彼女は4本も足があるくせに、ちょっとした崖も登れないし、僕よりひどい高所恐怖症なので下の見える吊り橋などは苦手なのである。結局、彼女の行けるところしか行けないし、リードを手放せないから釣りどころではない。

 もちろん、河原での焚き火は禁止であるし、気取ってバッカスのウィスキーボトルからウィスキーを飲めば、運転して帰ることはできなくなる。
 
 という具合に「理想の休みの一日」は実現不可能なのだが、そこからいろいろ引き算をして、「理想に近い休みの一日」を探ることになる。
 釣り場まで片道6時間ぐらいのところまで頑張っていくかとか、フライはやめてルアーと餌をもっていこうかとか、ラブを連れて行くのはやめようかとか、ノンアルコールビールをクーラーに入れていこうかとか。
 でも、そうやって引き算をしているうちに、みるみるワクワク感は薄れていき、そもそも「理想の休みの一日」にしようとしていた熱意は消え失せてしまうのである。

 しかし、僕は最近思っている。
 そもそも、僕は「理想の休みの一日」を思い描くことに失敗している。「理想の休みの一日」が実現できないのは、行動力ややる気が欠如しているのではない。
 いつごろからか僕の「理想の休みの一日」のイメージはそんな風で、ずっと上書きしていないのである。
 多少の困難はあれ、実現可能な別の「理想の休みの一日」を思い描くことができたら、「理想の休みの一日」はもう現実味を帯びてくるし、それを実現しようとする意欲も強く湧くはずだ。
 いよいよ、僕の人生の残り時間も少ない。「理想の休みの一日」だって、数えるほどしかつくれないかもしれないのだ。
 「理想の休みの一日」をもう一度描きなおしてみようと思う。

  

photo by Refe