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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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多くの脱サラ起業が失敗する理由

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 僕がもっとも恐れていることのひとつに、会社員として行き詰まった人が、僕の書いたものを読んで、安易に会社を辞めて独立しようとすることがある。
 はっきりしておきたいが、中年期の独立起業を僕は積極的におすすめはしない。

 
 しかし、たとえば、会社が潰れてしまったとか、再就職も難しく、どうしてもそうしなければならない事情があるというならば、こういうやり方をしたらどうかということを、かつて書いた。

 

絶対に失敗せずに「商売」を始める10のポイント - ICHIROYAのブログ

 

 おおむね記事の趣旨は伝わったと思われるけれど、なかに印象的なこんなコメントがあった。

 「それは行商でもする人のノウハウだろ」
 
 半分はあたっているけれど、半分は間違っている。

 その記事で僕が書いたことは、「会社に頼らずに自分と家族が露頭に迷わずに生きていく、どうしても必要なお金を稼ぐにはどうしたらいいか」ということだ。
 世界を変えるとか、何百万人の生活を便利にしようとか、そういう目的ではない。
 だから、起業して世界を変えてやろうと思っている人には、肝っ玉の小さいやつだな、そんなことじゃ、大きく世界を変えることもできないし、でっかく稼ぐこともできないぞ、と思われるのである。

 半分あたっているという理由は、僕が書いたそのやり方では、さっさと立ち上げて、大きく急速に伸ばし、株式公開をして、事業の規模も報酬も最大化するということはできないからだ。
 もちろん、僕もそんなやり方に憧れる。
 ただし、そこには博打的なリスクがあることを忘れてはいけないと思う。多くのスタートアップはそういう状態を夢見て大きく振りかぶり、結局は空振りに終わるのである。どれほど叩きのめされても、家族に辛い思いをさせても、何度も何度も立ち上がるガッツーそれはとても常人には宿ってはいないけどーをもっている人はそうすればよいと思うのだ。
 
 だから、「自分の足で立って生きる、家族を十分に養い、辛い思いをさせないようにする」ということが第一義の目的であれば、必然的にそのやり方はできなくなる。 もちろん、そういうガッツがあり、頭キレキレの生まれながらの起業家なら、ある程度リスクは少ないだろうし、「失敗しない」と「世界を変える」は両立するかもしれないが、あくまで、それはスター級の人たちにのみ可能なことだと思うのである。

 さて、半分間違っていると思う理由は、そういう「行商から始める」ようなイメージのビジネスでも、大きく育てることは可能だ、ということだ。
 実際、行商のような小さな事業から始めて、大きな事業に育てていった実業家は数知れず存在する。
 まず、あまり知られていないが、小さな取るに足りない事業に思えても、会社員が想像できる以上に稼いでいる人も多く存在する。
 たとえば、僕は古着の商売をしているわけだが、最初のころ、神社などの露天で商売しておられるかたの中に、自分がいた会社の部長以上に稼いでいる方がおられるなどということは想像できなかった。業界の仲間と親しくなってはじめて、そういう方がおられることを知ったのだが、世の中には「稼いでいないように見えて十分に稼いでいる」人たちは多く存在するのである。
 そういう方は、勉強熱心で、次々に工夫されていくので、どんどんお客様が増えていき、稼ぎも増えていく。店の装飾というような経費のかかることはしなくてよいので、稼ぎは次のより高額なものの仕入れに回したり、お客様へのサービスにあてることができるのである。
 多くの人は露天のような小さな事業では十分なお金は稼げるはずがないと思っておられると思うが、じつは、小さな目立たない事業でも、十分に家族を養い、会社勤めで出世する以上のものを稼ぐことが可能なのである。

 そして、もうひとつ重要なことは、それぞれのライフスタイルや好みの生き方によって、そこから先は、自由自在になるということだ。
 地べたで商売をはじめて、工夫を重ねて、店を持ち、さらに店を増やし、ネットショップを始めて・・・・と延長線上で商売を伸ばすこともできるし、そうしつつもあいかわらず地べたでの商売も続ける人もいる。
 また、そうなったのちに、それが望みなら、「世界を変える」ための博打に出ることもできるのである。
 ただし、それができるまでに、自分の家族の生活の基盤をつくるまでに、時間がかかってしまうところが、難点ではある。

 若くて養うべき子供などがいない人は、「世界を変える」挑戦を、すぐに始めてもよいと思う。
 だが、中高年が会社に行き詰まって脱サラに走るときは、注意が必要だ。
 「自分の足で立ち、家族を養う」のが目的なのか、「世界を変える」ことが目的なのか、はっきりさせる必要がある。
 そして、もし、「自分の足で立ち、家族を養う」ことを第一の目的とするならば、地に落ちて泥にまみれて、めちゃくちゃカッコ悪いところを人に晒す覚悟があるかどうか、自分の胸に問いかけてみればよい。

 あなたは、地べたにゴザをひろげて、何かを売ることができるだろうか?
 そういう姿を元部下や元の同僚に見られてもかまわないという覚悟があるだろうか?

 きっと、ない。
 だから、あなたの脱サラは失敗する。
 なぜそう言うかというと、僕もその覚悟がないままに会社を辞めたからだ。
 そして、名刺をつくり、事務所を借り、できもしないBtoBサイトのプランを吹聴したからだ。
 
 そんな僕が幸運にも脱サラに成功したのは、臆病者だったからだ。
 やはり博打はできない。
 どんなことがあっても、ぜったいに娘たちに惨めな思いはさせない、と腹をくくれたからだ。
 僕は事務所をひっそりと引き払った。自分の家のこたつに戻り、ネットで売ることからはじめ、ときには砂にまみれた掘っ立て小屋の床にビニールシートを広げ、ときには学校の教室の机の上で販売した。  
  
 僕は本のなかで、こう書いた。
 

 僕は、思っている。
 職業人は、社会に出てから二度死ぬのだと。
 一度目は、何ものでもない自分というものを受け入れる過程で。
 そして、二度目は40才の声を聞く中年となった頃、やはり自分は何ものにもなれずに人生を終わるのだということを受け入れる過程で。 

  
 会社を辞めたばかりの僕は、まだ死んでいなかった。
 再生するためには、本当にもう一度死ぬことが必要だったのだ。
 
 2度目の死を本当の意味で受け入れないかぎり、自分の足で立ち上がることはできないのである。

 

photo by Jay Mantri