ICHIROYAのブログ

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コミニケーションがうまくいかなくて、人生の軌跡が変わっていく話

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 さっきフェイスブックを確認したら、知らない外国の綺麗な女性からメッセージが入っていたので、きっとまた何かの宣伝だなと思ったら、僕が気に入って翻訳した「旅ガールに恋しちゃだめ」という記事の筆者からであった。
 その記事を翻訳したのは去年の6月でかなり反響があり*1、筆者の彼女の連絡先をフェイスブックでみつけてメッセージを送っておいたのだ。
 彼女は各国語に翻訳されていくことを喜んでおり、そのリストに日本語も加えてもらえると、僕にも彼女にも良いことだと思えた。
 が、返事がない。
 いつまで経っても返事がなく、なんだかがっかりして、忘れてしまっていた。

 彼女のメッセージとFBを読むと、どうやら彼女はFBのメッセージボックスの『その他』というところの存在を今日まで知らなかったらしい。
 FBでは友達でない人にメッセージを送ると、『その他』に入る。
 僕のような、彼女と直接つながりはないけれど、感謝の気持ちや提案の数々は、すべて『その他』のボックスに入ったはずである。

  
 彼女のようなネットでもアクティブな人が、それを今日まで知らなかったということに驚いたのだが、きっと、いまだにそれを知らず、さまざまなチャンスを逃している人がいるだろうなと思った。
 僕も同じようなミスをしていたからだ。

 

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 僕も1年半ぐらい前までそのことを知らなかった。
 そして何気なく、そのタブを押して開けてみたところ、ある大手出版社の方からのメッセージ が入っていた。
 本にしませんか?というのである。
 もちろん、僕はびっくりして、また、狂喜してすぐに返信した。
 だが、すでに受信した日付から、1か月か2か月経過してしまっていた。
 そして・・・返事はなかった。
 おそらく、メールを出してくださったあと、冷静に考えて、「出版しても利益の出る勝算なし」と気持ちを変えられたのだろう、と僕は推測した。
 出版については、そういうことは何度か経験しているので、出版社の提案というものは、曖昧で揺らぐものだと思っている。
 すぐに返事を出していたらどうなっていただろう、僕は悔やんでも悔やみきれない気持ちだった。まさに、チャンスが、僕の鼻先を通り過ぎ、その尻尾をつかむことができなかったのである。

 その話を聞いてくださったズイショさんが、そんな大事な話、フェイスブックのメッセージでするんですか、と驚いて、「で、相手は、そのメッセージが『その他』に入ること知ってたんですか?」とおっしゃった。
 ああ、そうか、ひょっとしたら、僕のそのメッセージが届かず、結局、無視されたと思われた可能性もあるな、とあらためて思った。

 さて、こういった行き違いは、FBの「その他」ボックスに限らず、たくさん経験している。
 たとえば、ある方からの連絡を待っていたら、すぐに返事をもらえるはずのものが、1か月半経ってもない。
 ことの性格上、こちらからメールをするのも、躊躇する内容である。
 ついに、僕は、その方は、僕の何かが気に入らないのだと判断して、その方からの返信を待つのをやめて、次の行動に出た。
 しかし、次の行動に出たという連絡をしたあとのやりとりで、彼は返信を出してくださっていたことが判明した。
 彼はメールを出したあと、僕からの返信がないことで、僕が「怒っている」と思い、どうしたらよいだろうと悩みながら1か月半を過ごしたという。
 僕がなぜその返信に気付かなかったかというと、僕が複数のメールアドレスを使っており、たまたま普段使わないほうのアドレスにメールをいただいていたからだとわかった。

 じつは、昨日もそういったことがあった。
 朝日新聞の記者のかたがウェッブ版に弊社のことを紹介してくださったのだが、そこでも行き違いがあった。
 彼女が「Boro(ぼろ)」の写真を送ってくださいというので、僕はすぐにスタッフに写真を撮ってもらい、名刺を見ながらアドレスを手打ちして、写真を添付してお送りした。
 彼女は着物業界全体の今を取材するために、多くの関係者に話を聞くために飛び回っていて、とても忙しそうであった。
 写真がついた、という返事はないが、忙しい記者だから、それも仕方あるまいと思っていた。記者の方が聞いた話や手配した写真を使うか使わないかは、全体のバランスもあれば、デスクの判断もある。
 その記事ができあがって、僕の知人が多くそこに登場しており、とても嬉しく思ったのだが、「Boro(ぼろ)」への言及はなく、結局、不要だったんだな、と思った。
 そして、「写真つきましたか?」と確認のメールを送って、かえって気を使わせずによかったとも。
 ところが、おととい、彼女から電話があって、「ウェッブ版で紹介したいので、Boro(ぼろ)の写真、送ってもらえませんか?」とおっしゃる。
 え? 送りましたよ? ついてませんか?
 
 着いていないというのである。
 なんだ、そうだったのかと思い、該当のメールを再送した。
 なぜだか、それでもまだ相手に届かない。最終的には、空メールを送ってもらい、そのメールに返信する形で送ったら、なんとか写真は届いた。
 最初のメールのアドレスのどこが間違っていたのか、目を皿のようにして見ても、違いはわからない。いまだに何が起きたのか理解できないままだ。
 ともかく、そうしてやっと写真が届き、彼女はすぐに記事にしてくださった。

 そして、彼女が言ったのである。
「Boro(ぼろ)の写真が来ないな。きっと、和田さん、めちゃくちゃ忙しいんだろうな、と思ってました」
 つまり、彼女は僕が忙しくて忘れていると思いこみ、催促をためらったのである。
 僕は僕で、彼女は忙しくて、とりあえず、入手した写真を手元において、受け取ったというメールをする暇がないのだろうな、と思っていた。


BORO(ぼろ)、庶民の古い野良着が海外コレクターに人気 着物に明日はあるか? -- 朝日新聞GLOBE


 こういったことは、お互いのことをよく知らないもの同士で起こりがちだけど、よく知っているつもりの相手とも起きる。
 知人とやっているプロジェクトが、2か月近く滞っている。
 最後のボールは僕にあって、そのことに少し時間がかかったが、やっと仕上げて相手にメールでそれを連絡した。
 そして、顔を合わせた時に、「時間かかったけど、送っといたよ。トップページのイメージがもうひとつだとは思うけど、つぎ、頼むね。」と言ったら、「了解、了解。イメージはいつでも変えれるし」と返事が帰ってきたのである。
 そのあと、2か月近く日は過ぎ、仕事では何度も顔を合わせて、少人数で飲みに行ったりもしたのだが、僕は僕で、「ああ、また少し時間かかってるんだな。忙しそうだから仕方がないな」と思い、催促の言葉を言ったり、進捗を訊ねることができなかった。
 しかし、最近になって、決算報告をしなくてはならないという話になり、ふと彼が漏らした言葉で、彼が僕のメールをちゃんと認識していないことが判明した。
 そのメールもあとで念押しした話も、忙しい彼の頭にちゃんと入っておらず、彼の方では、ボールは僕の方にあって、なぜ、そんなに時間がかかっているのかと不思議に思っていたというのである。
 僕はひっくり返った。
 まあ、しかし、たまにアブセントマインデッドになるのは仕方がない。僕もそうだと妻によく言われる。しかも、彼は超人的なスピードで成長を続ける会社のトップだから、そういうことがあっても不思議ではない。
 

 さて、話がめちゃくちゃ長くなった。
 が、僕の言いたいことは、もうおわかりだろう。
 さまざまなコミュニケーションツールができたおかげで、チャンスが飛躍的に増えている。だけど、そのコミュニケーションツールがいつもうまく機能するとは限らず、いや、むしろ、多くの場合、コミニケーションに失敗してしまうリスクが高くなっているのである。
 そうして、千載一遇のチャンスを逃し、友人知人との誤解が生まれ、人生の軌跡が変わってしまう。

 たいせつなことは、相手の気持ちを慮るよりも、とにかく、そのメッセージが届いたかどうか、確認することが一番大事なことだと、最近痛感している。

 

photo by markus spiske

*1:最初のエントリーを間違えて消去してしまい現在あるものは2回目にアップしたもの