ICHIROYAのブログ

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年老いた両親と僕と妹のつまらない話

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                                                                               photo by Kyle Richner

 

 85才のオヤジは、ヘルパーさんたちに助けてもらいながら、まだなんとか自立して暮らしている。
 だけど、ここ数ヶ月、かなり心身ともに弱ってきていて、そろそろなんとかしなくちゃならないねと妹のSと話している。
 まだ、ぎりぎり、理屈で考えることはできるのだけど、ちょっとしたことで、悪魔のような表情をして怒鳴りだしたり、急にえんえんと泣きだしたりする。
 昔から、同じ話ばかりする癖があったけれど、それがだんだんひどくなってきて、耳が少し遠いせいもあって、いつも同じ話を大声で聞かされる。
 父は一生平社員で過ごしたこともあって、僕にかけた期待は大きかった。
 大学ぐらいまでは、僕はなんとか父の期待に応えたので、父の話の半分くらいは、(僕がそこにいるせいもあるのだけど)、僕の子供のころの自慢話である。
 それを聞くのもまったく辛いが、いままでは、そのほとんどは実際にあったことであった。


 昨日、いつもの話が始まったなと思ったら、僕が会社を辞めたことが、こんな話になっていた。
 僕は会社で非常にできた。あまりにできすぎて失敗した。
 じつは、S店という大きな店を出店するにあたり、そのプランを書いていたのは、僕であった。人員計画から商品計画まで、僕がすべての絵を描いた。
 そして、そのまま僕がS店の店長をやるはずだったのに、その店長職は同期の別の人間にいってしまった。それはできすぎる僕を恐れた、ある上層部の人(X)が、僕が辞めるように仕向けた作戦であった。

 僕は父に、そんな話をした覚えはない。
 匂わせた覚えもなく、まったく、すべて真実ではない。
 しかし、父は、頑固にそう思い込んでいる。

 そんな父を連れて、母がお世話になっている施設へ行った。
 父の与太話をしっかり聞いてくれる妻も一緒だ。
 いつものように施設に入り、入居者が集まっている部屋に行くと、テーブルを囲んで、みんなが歌を歌っていた。
 車椅子の母もその輪の中にいる。
 歌は美空ひばりのなんとかいう歌で、低く力強い声が混じっているので、その声の元を視線でたどると、白髪頭の恰幅の良い男性に行き当たった。
 歌の合間にその男性がおっしゃったことから、どうやらその男性は、ボランティアでこういう施設を周り、入居者と一緒に歌を歌うことで、人々を幸せにしたいと思って活動されているらしかった。
 たしかに、いつもは、つまらなそうにテレビを見ている入居者の人たちが、歌詞を印刷した紙を見ながら、楽しそうに歌っている。

 歌が終わり、母を車椅子のまま自室に連れて行った。
 「左目が見えなくて困る」と母が言う。母の左目は老人性黄斑変性症、右目は白内障であり、足はひどく骨折したため完治したけれど、もう立てない。
 母の妄想、幻覚はますますひどくなり、話のやりとりはできるけれど、母の住む幻覚の世界と僕らのいる現実世界はまったく別なので、いつもチンプンカンプンな会話になる。最初は、それは昔の話だとか、いまいるところは豊中じゃないとか、幻覚と現実の区別を少しでもつくように注意していたけど、最近は、そうすると、ほとんど話が進まないので、問題のない場合は、適当に話を合わせるようになった。

 さて、そんな母が言う。
 あの、おっさん、元校長先生なんやで。それで、歌も上手いんや。
 で、県会議員に立候補してはってな、票欲しさに、ああやって、こういうところに来て、歌、うたってはるんや。

 そうやろな、道理で歌上手いと思ったわ、と父が言う。

 僕と妻は顔を見合わせる。
 こんな状態の母に、所員の方が、そんなネガティブな説明をするはずがない。入居者の誰かとうわさ話ができる状態でもない。
 母がアタマの中でつくりあげたストーリーに違いない。
 それにしては、狙いすました矢の一撃のような、あまりにありそうな物語ではないか。
 たったひとつ、妄想であるとわかる理由は、「県会議員」という言葉である。母や僕らの住むこの地域は、「府会議員」はいても「県会議員」はいないのである。
 母に、きつい被害妄想の気があるということを忘れると、つい、その悪意ある解釈を、そのまま信じてしまいそうになる。

 もうひとつ、母がしきりに言ったことがある。
 「Sが大変やで。何かは言わんけど、大変なことになっているから、しっかり見てやってや、お父ちゃん」
 妹のSと父は、前日、母に会いに来ていた。
 神様は、妹にさまざまな苦難を用意してあきない。そんなだから、母がそういうことに、さほど驚きはない。
 いつものように心配しているんだな、と軽く思っていた。
 
 帰りの車の中で、妻が言う。
「お母さん、やっぱり、あんな状態でも、敏感に、大切なことはわかるのね。びっくりしたわ。Sちゃん、大変なのよ。今朝、電話した時に、聞いたこと、まだ話してなかったね・・・・・」


 神様は、また妹に、面倒な試練の玉を投げつけたようであった。
 それが、彼女を直撃しないですむことを祈るばかりだ。
      

 父と母は、どんどん遠い所に行ってしまう。
 毎回、会う度に、離れていくと感じる。
 もう、同じ世界には住んでいないのかと思うときもある。
 だけど、どれほど遠い所に行こうとも、僕と妹とは、現実の世界で、そして、もうひとつのどこにどんなかたちであるかわからない世界で、しっかりとつながっているのである。