ICHIROYAのブログ

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50歳をこえてから学習塾で起業した友達の話

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                                                                                         photo by Dani_vr



 大学時代の友人Tが、事情があって無職になったのが2年前のことだ。
 僕とほぼ同い年で、彼が52歳か53歳の時だ。
 子供が巣立っていれば、あまり深刻に考えずともよい年代なのかもしれないけれど、高校生だか大学生だかの娘さんがふたりいてその学費が必要だし、家のローンも残っていて生活を縮小するだけではやっていけないという。

 当初、Tは再就職しようとして活動した。
 が、その年齢でそれなりの給与の職を得るのは難しかったらしく、否応なしに起業に追い込まれた。

 
 そして、「蕎麦屋をする」と言いだした。ある蕎麦屋に弟子入りし、僕や大学時代の友人たちに自分で打ったそばを送ってきた。
 僕は心配でたまらず、もちろん蕎麦屋も素晴らしい仕事だが、Tのおかれている事情では、やめたほうがいいとアドバイスした。そして、こんな記事を書いた。

やめろよ!と言いたくて言えない、蕎麦屋開業 - ICHIROYAのブログ

 
 結局、Tは蕎麦屋は諦めて、学習塾をひらくことにした。
 僕はけっこう頻繁に電話をして、自分なりに彼のためとなるようなアドバイスをした。というか、押しつけた。
 世の中はけっこう世知辛くて、たとえば塾用に事務所ひとつ借りるにも、親族以外の保証人が必要だったりするので、そんなことでもためになれたらなと思っていた。
 
 彼は自宅近くに事務所を借りて、奥さんとふたりで事務所の内装をやり直したりしながら、ぎりぎりのローコストで開業にこぎつけた。
 塾のことは何も知らないが、彼がつくった塾のHPには、さまざまなアドバイスの余地があったので、電話でなんやかんやとアドバイスした。
 しかし、僕のアドバイスを彼はうるさく感じているのではないかと、薄々感じてはいた。
 
 彼の方から、何か相談があって、電話がかかってくることはなかった。
 僕だけでなく、関東で昔の大学の仲間が集まるときにも、彼は参加しなかった。
 行けば何かアドバイスもらえるかもしれないし、ささやかでも助けてくれることがあるだろう、なんで行かないんだ。友達にありのままの自分をさらけだして、差し伸べられる手は、ありがたく受け取れよ、と僕は彼を責めた。
 
 塾がオープンして半年ぐらいたったころ、生徒は数人しかおらず、どうやって生徒さんを増やしたらいいのか悩んでいると言っていた。
 塾の経営について知っていそうな人がいれば片っ端から訊ねてみたが、少子化の時代にあっていかに塾の経営が厳しいかということ以外に、彼の役に立てそうな情報を得ることができなかった。
  
 彼は関東に住んでおり、毎日のように塾があるので、直接会って話がしたかったけど、なかなかその機会がない。
 ゴールデンウィークやお盆のころにたまたま東京へ来る用事ができたので、会いに行くよメールすると、2回とも、用事があるので会えないと返事が返ってきた。

 そして、電話もかけにくくなったまま、1年ぐらい経った。
 たまたま、今日、東京に用事が出来たので、前日から関東に入れば、Tに会えるかもしれないと思い、短いメールをした。今度こそ、断る理由を言わせないために、こう書いた。
「今度の土曜日、授業が終わってから飲もうよ! 塾まで行くよ!」
 30時間ぐらいして、ようやく了解の返事がきた。

 その文面はごくあっさりしたもので、Tはあいかわらず、できることなら僕と会うのを避けたいのだなと思った。
 でも、僕は今回は、何が何でも会いに行こうと決めていた。
 塾の生徒さんの数があまり増えていないのかもしれない。もしそうだとしたら、そろそろ、ほんとうに経済的にも困っている時期のはずだ。
 大事な友人が困っているときに、手を差し伸べることができなくて、いったい、人生に何の喜びがあるというのか。

 作者は忘れてしまったが、大好きな短編に、こんな話がある。
 夫婦は、小さなパン屋さんを営んでいる。長い年月、ふたりで朝から晩まで汗水たらして働いて、ようやく人気の店になって生活が安定してきた。そこへ、主人の古い友達が訪ねてくる。彼は困窮しており、主人はその友人のためにいくらかのお金を貸してやろうとする。が、奥さんがそれを許さない、という話だ。

 僕がTにお金を用立てると言ったら、嫁はなんと言うだろうか。
 その話のパン屋さんの夫婦みたいに、僕の口座にあるお金は、現実に、嫁が泣きながら働いて得たものも含まれている。
 もし、それがほんとうに必要になったら、嫁を説得することができるだろうか。
 嫁に内緒でそうするほか、道はないのだろうか。
 わからない。

 でも、僕は、なにがなんでも、Tをそのまま沈没させたりしないぞ、と心に決めていた。
 なぜなら、Tは、僕のとても大事な少数の友達のひとりだからだ。
 大学時代からの友人で、会社に勤めてからも、僕が困っているときに、ふらりとあらわれて、僕の心を軽くしてくれた。たぶん、Tはその時のことを、もう覚えてもいないだろうけれど。
 
 待ち合わせの場所に現れたTは元気そうだった。
 居酒屋に入ってお互いの近況を話すうち、Tは自分から塾の経営の状況を語りだした。
 彼の塾は、その後、順調に生徒さんが増えていた。
 彼の言葉を借りると、「大繁盛というほどではない」が、夫婦の生活費と学費と家のローンを払うに問題はないそうだ。 
 入塾した生徒さんのなかに、事情があってやめた一人をのぞいて、途中でやめた子は誰もいない。それは、ふたりの学習指導が生徒さんやご両親の絶大な信頼を得ていることを意味している。

 僕は、ほっとして、泣きそうになった。
 彼のメールの返答のニュアンスは僕が勝手につくりあげたもので、彼は僕を避けてもいなかった。
 すでに彼は窮地を脱して安定した生活を営んでおり、僕のヘルプなど必要としていなかったのだ。
 僕は心配のあまり、彼と奥さんのチカラを過少評価していて、50歳を過ぎてから、まったく知らない分野での起業は難しいのではないかと思いこんでいた。
 ちょうど、僕が辞める時、心配してくれた会社の親友が最後の最後に「退職届を取り消せ」と言ったときのように。
 が、賢明なおふたりには、そのチカラが十分にあった。
 考えてみれば、あたりまえの話だ。
 僕と嫁にできたことが、僕よりアタマのよいTと奥さんにできないはずがないではないか。
 僕は過剰な心配をした自分を恥ずかしく思った。

 居酒屋のあと、もう一軒、スナックに行った。
 11時半ごろ、お開きにした。
 ふたりとももう歳だし、夜を徹して飲む必要もなく、それで十分だった。


 電車に乗り込むまで見送ってくれたTに別れをつげ、僕はホテルに帰った。
 「とりあえず、100万持っていこうか、200万持っていこうか、どの口座からいつおろそうか、どう渡したらTは受け取ってくれるだろうか」と半ば真剣に悩んでいた自分の馬鹿さかげんが可笑しかった。

 そして、僕は、ぐっすりと、本当にぐっすりと眠ったのだった。