僕は罪悪感を感じている。僕は冷たい人間だ。
薬を飲めば症状の悪化は防げるから、医者に連れて行けと人は言う。嫁が何軒もの病院に連れて行った。いろんな薬をもらった。薬を変えるたびに体調も症状も悪くなり、家の中で同じ行動を繰り返したり、廊下でひっくり返って頭を打ったり、いっときも目を離せなくなった。そして、最後の頼みとしていた医者はできることはありませんと嫁のお父さんを突き放した。
最近、知人から認知症が出てきたお父さんを、遠くのある病院のある有名な先生のところへ通わせていると聞いた。
なぜ、僕は、嫁と妹に任せっきりにせず、日本で最高の認知症の専門の医者を探し、そのお医者さんへの紹介状を書いてくれる人を探し出し、何時間もかけて両親と嫁のお父さんをその医者のもとへ通わせないのか。
僕は罪悪感を感じている。僕は冷たい人間だ。
介護施設で車椅子に傾いて座っている母。
まったく辻褄の合わない話に相槌をうちながら、背後から傾いた身体をそっと伸ばしてやる。
面会に来て、まだ1時間も経っていない。でも、そろそろ帰らなくっちゃと思う。
そこに母を残せば、骨折の後遺症で立ち上がることもできず、黄斑症と緑内障であまり目も見えない母は、また、空想の世界に帰る。長い長い時間。僕や妹がまた訪れる時まで。
老い先短い母との時間をもっと増やすべきじゃないのか、とどこから声がする。
だが、帰らなければ。
僕は罪悪感を感じている。僕は冷たい人間だ。
家に同居していたお父さんは、いつからかほとんど喋らなくなった。僕も、無反応なお父さんに声をかけることがなくなった。
お父さんはときどき嫁が介護施設から連れ帰ってくる。
「お帰りなさい、お父さん。そろそろ、涼しくなってきましたね」と声をかけて、肩に触れるくらい、たやすいことだ。たとえ、反応がないとしても。
なのに、なぜ、僕は、付き添って連れ帰ってきた嫁には声をかけるのに、お父さんにはそんな簡単なことをしないのか。
僕は罪悪感を感じている。僕は冷たい人間だ。
飼い犬のラブを思いっきりきつく抱きしめる。
そして、ふと思う。
なぜ僕は、ラブをこんなにも頻繁に抱きしめるのに、母も父も、嫁のお父さんも、長いあいだ、きつく抱きしめたことがないのだろうか。
僕は罪悪感を感じている。僕は冷たい人間だ。
こんなことをここに書いてなにか意味があるのか。
家族の介護には、もの言わぬ犬の介護とは違う、それぞれの物語が、事情が、けっして語れない恥がある。部分だけを書いてみたところで、すべてを理解してもらうことなどできない。
僕は知ってほしいだけだ。ふたりの娘たちや、そのダンナさんたちに。
もし僕が長生きして、迷惑をかけるようなことになったら、僕が今こんな風に感じていたってことを。
いつの日か、君たちは、罪悪感を感じるかもしれない。自分が冷たい人間だと思ってしまうかもしれない。
でも、僕は君たちが僕のことをどう思ってくれているか、ちゃんとわかっているから。
大丈夫、気にするな。
PS ハフィントン・ポスト編集部様 この記事は転載しないでください
photo by JAY MANTRI