昭和時代の小さな海水浴場にタイムスリップしたような!
鳥羽水族館へ行こうとしたら、お盆の混雑で駐車場に入ることすらできない。
僕らは駐車場に並ぶ車列の長さを見て、水族館は諦めた。
で、田んぼのなかの一車線の細い道を、ナビを頼りに海辺を走っていて、その昭和時代の小さな海水浴場にタイムスリップしたのだった。
草を刈っただけの駐車場。
トタンとよしずで作られた屋根。
畳5畳分ぐらいの大きさの台が並んでいて、場所を決めたら、そこにゴザを拡げてくれる。
駐車場は無料。その座敷の料金は、大人500円、子供200円。
座敷は半分も埋まっていない。たまにやってきてそこに座ろうとする家族連れに、おばちゃんが申し訳なさそうに声をかける。「有料なんやけど、いい?」
先日の台風に吹き飛ばされもせず、よくもったものだ。
ただし、テトラで囲まれた100メーターにも満たない海水浴ゾーンの浜には、大量の海藻が打ち上げられている。
「台風のせいで浜にはごみが多いけど、すごい遠浅やから」と漁師のような日焼けしたおっちゃんが、ちょっと自慢気に言う。
潮風が気持ちいい。
僕は冷えたビールを買って、ゴザに寝ころぶ。
海藻の積もったゾーンの向こうに海。はるか沖で遊んでいる親子が見える。
たしかに、そうとうな遠浅の海だ。
見える範囲で遊んでいる人は、多く見積もっても20人。
1歳半の孫と娘たちは水着に着替えて、海へ。
「なんだか、昭和だよね」と嫁が言う。
完全に昭和のイメージ。沖で走っている2隻のジェットスキーを消去!すれば、たしかに、時は昭和であったほうが違和感がない。
「へえ、でも、私等の子供のころ、こんなんやったっけ?」と長女の祥子が言う。
そういえば、まだ小さな娘たちを連れて海へ行っても、こんな風な光景はなかった。持参したビーチパラソルを立てて、ビニールシートを拡げてというのが定番だった。
かと言って、自分が子供だった頃、昭和30年代後半を思い返しても、そういう座敷を借りて寝ころんだ覚えがない。
満足げな顔をした店のオーナーのおじちゃん、おばちゃん。
派手な花柄のワンピースの水着を着て、僕の目の前から海に向かって歩いて行った白髪頭のおばあちゃん。魚網をもったお父さんと少年。
そこにいたみんなが、昭和の良き時代にいた人たちのように、なんだか幸せに満ちているように見えた。
いや、もちろん、それはおやじの感傷に過ぎない。
ここが昭和なら、真っ黒に日焼けした少年少女がいるはずだが、そんな子供はもういない。
日本の各地にある、寂れた小さな海水浴場のありきたりの風景だ。
昔はよかったと言えば、かならず笑われる。
しかし、この季節、あきらかに良かったことがひとつある。
みんな、アンプラグドしていたことだ。
携帯もなければインターネットもなく、連絡の頼りといえば、家族に残した旅程表と旅館の電話番号だけで、普段の心配事や仕事の課題からは完全に解き放たれていた。
僕はゴザに寝ころんで、スマホを取り出し、何枚か写真を撮った。
そして、メールやTwitterをチェックしかけて、やっぱりやめてバッグにしまいこんだ。
どうせ、たいしたことは起きていない。何か起きていたとしても、申し訳ないが、何もできない。普段、お客様にベストを尽くさせていただいていると思う。いまは、休暇を味わうべきときだ。いろんな心配事ややらなければならないことも、いったん、アタマをリセットする。
そうしたほうが、きっといいアイディアが浮かぶ。より良い解決方法がみつかる。
お盆休みもあと、3日。
家族との時間をたいせつに味わって、仕事をしない、気にしないで、アタマをリセットするのが唯一の仕事。
では!