ICHIROYAのブログ

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歴史に名を刻んだある男の略歴と死

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*1975年11月22日生まれ。母は妊娠中から麻薬を常用。3才のときに、母は彼を父親の部屋の前に置いて去る。
*彼は父親になつき崇拝するようになる。だが、父は彼をよく叩いた。裸にしてベルトや板で。そして、銃で脅した。
*父の強要により、3才のときから麻薬をやるようになる。父は犯罪者で、彼に盗むことを教え、失敗して捕まったときには彼を罰した。まだ小さな彼のいるところでポルノを見て、セクシャルな男になるよう励ました。こう言って。「女はよくない。たんに、男の望むことをやらせるためだけの存在だ」
*彼は兄からセクハラを受けていたらしい。彼は指を吸い、12才までおねしょをした。
*16才のとき、成人のための矯正センターに収監され、3人の男たちにレイプされた。

*1999年6月3日、23才、すでに押し込み強盗のかどで重犯罪人であった彼は、夜の10:30にある男性の家にほかのふたりの男と押し入った。ソファで寝ていた男性に、彼は銃を突きつけ、仲間が彼を殴りテープで両手を縛りつけソファに転がした。そこへ男性のガールフレンドがやってきた。彼女は捕らえられ、外の車で待っていた女友達も呼んでくるように言われてそうした。彼ともうひとりの仲間が、ガールフレンドをレイプした。
*彼らは男性とガールフレンド、女友達を縛り、2台の車に乗せた。3人だけでなく、別室で寝ていた男性のまだ生後9ヶ月の息子と、家でみつけたシャベルが積み込まれた。彼らは、郊外へ車を走らせた。彼はそこでガールフレンドをまたレイプした。男たちは浅い穴を掘り、女友達を殺すことに決めた。彼は彼女を撃った。彼女はすぐには死ななかった。彼らは彼女をその浅い穴に埋めた。彼らは男性の家に戻り、男性とガールフレンドと子どもを家に残して去った。
*翌日、警察は彼を逮捕し、彼は殺人を自白した。

*裁判で彼はほとんどの罪を認めたが、ガールフレンドをレイプしたことは否認した。また、子どもには食べ物をやったりあやしてやったし、殺人現場でオムツを代えてやったと主張した。
*彼は監獄から仲間に手紙を書いた。判決の前に、男性と子どもとガールフレンドを殺してはどうかと。
*彼は生き残りたちのその後を見守るつもりだったと主張し、男性とガールフレンドの住所と社会保障番号を覚えていることをその証拠として提出した。監獄の職員に、自分のIQ(190)を自慢し*1、マーシャルアーツでふたつの黒帯を持っていると自慢し、自分の犯罪行為を自慢した。(復数の刑務官を刺し、刑務所の暴動を起こしたと主張した)

*2000年10月5日。彼に死刑が宣告された。
*彼の最後の望みはシャトーブリアンのステーキを食べることだったが、規定の予算(15ドル)を超えていたために却下された。(それがダメなら、Western Sizzlin'という店のステーキをと望んだが、それも却下された)

*2014年3月29日。薬物注射による死刑が執行された。刑の執行は、3種類の薬物を段階的に注射する方法で行われたが、まだ、試験が行われていない新しい薬物の組み合わせが用いられた。薬物は適切な効果をみせず、彼はもだえ苦しみ、意味不明な言葉を発した。医師が死刑執行の中断を命じたが、約40分後に彼はこの世を去った。


*彼の名は、クレイトン・ロケット。死刑の方法について議論を巻き起こした男として、歴史にその名を刻んだ。

*死刑執行の薬物注射に失敗、40分もだえ苦しみ死亡 米国
*米オクラホマ州で薬物注射の死刑失敗、「拷問死」との非難も 
 

*以上は、The Life of Clayton Lockett - A short biography の抄訳です。著者のBrian Ted Jones氏は地元オクラホマのライターで、上記の情報は裁判資料などの復数のソースから得たものとされています


photo from New Old Stock 

*1:事実かどうかは文章からは不明