『少年のもつ冒険心』で資本主義の牙城を突き崩せ!
『コムデギャルソン』は、フランス語で『少年のもつ冒険心』を意味するという。
まさに少年のような冒険心をもって、川久保玲は世界のモードを破壊した。
また、不変なもの/変化するものという相反する二面性をもつのが、『コムデギャルソン』の特徴でもあるという*1。
最近のファッションのトレンドのひとつに、『エシカルファッション』というものがある。『エシカル』、つまり倫理的に求められることを高い次元で実現したブランドのことで、たとえば、過酷な低賃金労働者の縫製をよしとしない、環境に大きな負荷をかけて栽培されている綿花を材料としない、使い捨てをよしとせず、リサイクルや長く使えるものを推奨する、などをブランドコンセプトとしているものだ。
欧米のネットの記事でよく見かけるようになったのだが、たとえば、こんなブランドのことだ。
とくに、デジタルネイティブ世代にそういった機運が生まれているということは、世界の先行きを明るく照らず光のひとつだなと思っている。
そういえば、毛皮はほとんどファッションシーンから姿を消したし、時間がかかっても、そういう方向に世の中が変化していくのは、とても嬉しいことだな、と。
しかし、一方、ほんとうにそれが大きな潮流になるのか、半信半疑なところもある。
ファッションの本義は、着ててカッコいいこと。それで、異性にもてること。
ひとと違うこと、新しくてわくわくすること。
そして、産業としては、それが安く手に入ることだ。
『エシカル』という倫理性と『ファッション』のもつカッコよさが、かつてなく同じ方向を向いていて、近接しているということは認める。
だが、いつの時代も『カッコよい』は、権威への反逆精神であり、羊の群れにではなくオオカミに捧げられたのではなかったか。
『エシカル』が『かっこいい』というのは、論理的に矛盾するような気がする。
少なくとも、今現在は『エシカルなファッション』というのは、ある意味ラジカルであるけれど、それがモードの内側にとどまるコンセプトであれば、やがては急速にそのラジカルさを失うのではないだろうか。
不変なものと変化するものがある。
モードにおいて、不変なものと変化するものはなんだろう。
それを見極める眼が、いまではとても大切なのだと思う。
たとえば、ミレニアム世代*2について、こんなことが言われている。*3
企業向けに世代別の傾向を分析しているマジド・ジェネレーショナル・ストラテジーズのジャック・マッケンジー社長は、ミレニアム世代の共通点を次のように 指摘する。すなわち、権威を信頼せず、基本的に寛容で、親との関係が深く、譲歩や妥協を好み、「大半の人が愚かだと思うくらい楽観的」だ。
こういった世代論が日本でもあてはまるかどうかはわからないが、もし、ミレニアム世代の特徴が『楽観』だとすれば、なるほど、僕らの世代はかなり『悲観』にとらわれがちな世代だなと思う。
そして、『エシカルファッション』に論理の一貫性を感じられないのは、『悲観』で照らしてものごとを見ているからなのかもしれない。
たしかに、娘や娘婿を見ていると、僕らが若かったころとはまったく異なる考え方や行動をする部分がある。
『嫁として、親として、不変だろう』と思っていたようなこと、心配していたようなことも、軽々と踏み越えていく。
そういえば、いぬじんさんとお会いして興味深い話を伺ったんだけど、こんなことを話しておられて、とても記憶に残っている。
『今の、若くて知的な人たちとじっくり話をすると、びっくりするぐらい、変ってきてますよ。背伸びして言ってるんじゃなくて、ごく自然に、カネ儲けじゃなくて、社会を良くしたい、っていうセリフが出てきますから』
『エシカルファッション』が根づくのかどうか。
世界のモードを、資本主義の牙城を、若い人たちが突き崩していくのか。
僕はすでに少年の冒険心は失ってしまったけど、モードの未来が、楽しみだ!
photo by Sam Antonio Photography