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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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植物に心はあるか?(2)

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 *昨日の続きです。昨夜最後まで一応読んだのですが、今朝、書こうとするとまた途中で終わってしまいました。明日、(3)を書くか、この記事に追記して終わりにします。どうやら底なし沼に入り込んでしまったようです。英語OKの方は原文にあたっていただくことを切にお薦めします(汗)

 
 さて、「こころ」ってなんだろうか。
 コメントでもご指摘いただいたように「こころ」が何かを定義しないと話は進まない。
 原文のタイトルは「Intelligence」だから、「知能,理解力,思考力、知性」などと訳すべきかもしれないのだが、それではしっくりこない。そこでなんだかわからないままに、僕の記事のタイトルには「こころ」とした。

 

 唯物論的に考えれば、「環境から与えられる刺激に対してそれを解決するアクションをすること。それを生み出す信号のやりとりや化学変化のことを、「こころ」とよぶ」のがよいのかもしれない。


 しかし、それだけを「こころ」と呼ぶべきじゃない気がする。
 少なくとも僕には、悩んだり、何かを意図したり、誰かを好きになったり、喜んだりする「こころ」があるし、嫁にも友達にもほかの人々にも「こころ」があることは類推できる。

 では、犬、うちのラブには「こころ」はあるだろうか?
 たとえば家に帰ったらラブはおもいっきり尻尾を振って走ってくる。彼女の喜びという感情はその動きから読み取ることができる。
 そしてもし彼女を身動きできないように閉じ込めておいて何の動きもできないようにしたとしても、彼女がその小さな頭のなかで「喜び」という「感情」をもっていることは間違いなく、その「感情」は間違いなく存在している。
 
 だけど彼女は馬鹿だから問題解決能力は低く、自分という存在を「認識」はしていないかもしれない。たぶん、していない。
 そういう状態だけど、犬には「こころ」があるといっても良いと思う。

 それでは、昆虫たちはどうだろう。
 彼らたちも、環境に対して問題解決をする能力があるが、その問題解決能力はうちのラブよりは相当劣る。もちろん、自分という存在を認識してはいない。
 普通考えると「昆虫にはこころはない」となるが、うちのラブと昆虫たちの決定的な違いはなんだろうか。

 さらにこの文脈で話をすすめるとどういうことになるだろうか。
 
 最近の研究によると、(以下、原文より一部省略して翻訳)
 
*根の先には不思議な能力がある。重力、水分、光、圧力、硬さ、窒素、リン酸、塩分、様々な毒素、そして近くにある植物が出している科学的なシグナルを読み取る。貫通できない障害や毒素がある場合、そのものに到達する前に根はその伸びる方向を変える。また、近くにある根が自分のものか、あるいは自分のものでないとすれば、それが同じ種のものか多品種のものかを知る

*普通、根はその伸びる空間を競うものだが、ある品種を4つ同じ鉢に植えたところ、鉢の中を分け合うように根を伸ばし競争的に根を伸ばすやりかたは陰をひそめた


*最近、研究がもっとも進んでいるのは、植物の情報伝達の面で、かなり以前から知られているように、昆虫から食べられている植物は揮発性物質を分泌して、ほかの葉に情報を送り防御を促している。驚くことに、その揮発性物質には、昆虫の種類を特定する情報も含まれていることがある。情報を受け取った葉は、その味やテクスチャーを変化させ、毒素をつくりだしたり消化されにくい化合物をつくりだしたりして、食べられにくくするのである。もっとも洗練されたシグナルは、コーンやライマメがもっているもので、毛虫に食べられているときに放出する揮発性物質は、離れた場所にいる寄生蜂を呼び寄せ毛虫を退治させる。


*ヤマヨモギの葉を、春に虫に食べられたように刈り込んだ。ヤマヨモギは、「虫がいて葉を食べられる」という情報伝達物質を放出したと思われる。そのため、そのヤマヨモギだけでなく、「刈っていない」近くのヤマヨモギまで、そのシーズンの昆虫による害が明らかにほかのヤマヨモギより少なかった。情報が近くのヤマヨモギにも伝わり、昆虫に対する防御の態勢をとったと考えられる。


*研究者による反論が巻き起こった研究だが、こんな実験の報告もある。手で触れればその葉を閉じるオジギソウをご存知だろう。そのオジギソウを鉢に入れて、5秒に1回15cmの高さから落とす。オジギソウはその衝撃を受けてその葉を閉じる。ところが、4回から6回それを繰り返すと葉を閉じなくなる。その衝撃を「学習」して、落としても葉を開いたままになるのだ。また、この「学習」したオジギソウを1週間後に、また、落とす実験をしても、その葉は開いたままで、その衝撃に反応しなかった。つまり、その「学習」したことを、「覚えていた」というのである


*ある種の寄生蔓植物は、その寄生する樹を最初から思い定めていたかのように蔓を伸ばす。ある方向に離れて立っているその樹の存在を知っていなければ、到底届かないような樹にまっすぐに蔓を伸ばすというのだ。それを研究している学者は、イルカのエコーロケーションのような仕組みをその植物がもっているのではないかと推測している。


 もちろん、記事に紹介されているこれらの研究には、追試によって確かめられていなものもあるし、著者自身が懐疑的なものもある。
 だけで、このすべてが真実でないとしても、植物のもっている問題解決能力は、僕らが想像するよりずっとすすんだものなのだなという想像は容易にできる。


 著者も言うように、植物はいったん根付いたらそこから動くことができない。
 だから、根付いた場所で動かずに、どのような反応をして身を守るかという方向で進化の階段を登ってきたのだ。
 僕ら人間よりもずっと長い歴史を。
 しかも、彼らの世界の時間の経過はめちゃくちゃ遅い。
 僕らが彼らの反応、問題解決に対する驚くべき能力を充分に知らずにいたとしても、何の不思議もない。

 
 さて、そうなると、昆虫と植物は根本的にどこが違うのだろうか?
 昆虫と犬の間に決定的な差がないとしたら、昆虫と植物の間に決定的な違いはあるのだろうか?

 犬に「こころ」があると思えるなら、昆虫にも「こころ」、植物にも「こころ」はあるかもしれない。もちろん、そこに濃淡はあっても、明確な一線というのは引けないものなのかもしれない、そんなふうにも思えてくる。


 (*続く) 
 

photo by BlueRidgeKitties