ICHIROYAのブログ

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「キョンシー五郎」っていう人から呼び出されたので行ってきた~~

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 ことの始まりは、「キョンシー五郎」さんから、フェイスブックでメッセージをもらったことからだった。
 そのメッセージは、

 明日、服部の駅おりて西に300mくらいいった○○○○にて6時から飲み会します。都合よかったらきてください。08078254xxxあいもと


 と書かれていた。
 「キョンシー五郎」って誰?
 顔写真も、「キョンシー」(中国の死体妖怪)という名前に相応しく、なんだか魚眼レンズを通してみるような、ちょっと気味の悪いものが使われていた。
 
 フェイスブックのプロフィールやタイムラインを見ても、さほど情報は増えない。
 メールの後に書かれた「あいもと」という名前が手掛かりだった。
 あいもと? 誰? やっぱり、覚えはなかった。
 ひとり、大学のクラブの同期に「相本」くんがいて、「あいもと」くんと言えば、彼しか思い浮かばなかった。
 服部という駅は、僕が子供のころに住んでいたところだから、まったく無関係ではなさそうだが、やっぱり、子供のころの友達で、「あいもと」くんの記憶はなかった。

 誰かと人間違いされているな、という結論に達した。
 もし薄いつながりのある誰かだとしたら、なんの理由も述べず、突然、明日、来いっていうのも、あまりに非礼であり、それならそれで、無視してもよかろう、そう思った。
 だけど、やっぱり、なんだか気持ち悪かった。
 ひょっとして、僕は、どこか知らないところで、誰かの気持ちを踏みにじり、そいつが「キョンシー五郎」となって、僕に復讐を試みているのではないか。

  
 まあ、しかし、気味悪さを残したまま、僕はそのメールに返事をしなかった。また、「キョンシー五郎」からの友達申請も来ないままに、何か月か経った。

 その気味悪さも忘れたころ、今度は、ブログにこんなコメントが入った。

突然ですが、1月1日の夕刻、飲み会があります。 ○○駅近くの『割烹T』です。 私あいちゃん、できさん、まーちゃん、くろやんなんかがあつまり、こじんまり呑んでます。 おひまでしたら是非ど〜ぞ、、、

  

 ぞっとした。
 「キョンシー五郎」は、僕のことを忘れてはおらず、こうして、何が何でも僕を呼び出すつもりなのに違いない。
 あいちゃんも知らなければ、できさん、まーちゃん、くろやんも、誰も知らない。「割烹T」も聞いたことがない。  

 

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 仕方がない、何かが起きている。
 もしくは、まったくの人違いで、人違いのまま、何らかの思いをいだかれている。
 僕は覚悟を決めて、以前もらったフェイスブックのメッセージを開き、このように書いた。

 キョンシーさん、ブログへのコメントありがとうございます~ほ んとうにすみません~人違いじゃないでしょうか~~「小曽根小学校」卒業ですが、キョンシーさん、思い出せません・・すみません、小学校時代はつらい思い 出が多くて、ほとんど忘れてしまったからからもしれませんが・・・もしそうだったら本当にすみません

 このメッセージが「キョンシー五郎」を怒らせないことを祈りながら、送信ボタンを押す。

 そしたら、こんなメールの返信が来た。

 そうやんな〜 昔すぎて、、、 私も忘れてよ〜ん。 よくかんがえたら、小学校6年のときは家にいりびたってたなあ〜 当時はネコに真空投げ〜てやってたなあ〜 サイモンとガーファンクルよく聞いたし、 服部会館で柔道もやったよなあ〜 あれから、四中卓球部から○○高校いったけど、あんまり接点なくなってそえんになっちゃったなあ〜 

 

 ようやく、僕は、その「キョンシー五郎」と名乗るひとが、小学校~中学校の間に仲の良かった、まさしく「あいちゃん」であることを思い出したのだった。
 でも、一瞬にすべてを思い出したわけではない。
 ちょっとずつ、ちょっとずつ、柔道着の臭いや、卓球のラバーの感触とか、当時飼っていた猫のこととか、とともに、「あいちゃん」を思い出したのだ。
 僕の記憶のなかでは、「あいちゃん」という名前は、大学時代のチームメイトの「あいちゃん」に、いわば上書き保存されたような状態で、小学校時代の「あいちゃん」の記憶を取り戻すためには、さまざまな断片を拾い集めて、その匂いを嗅ぐような作業が必要だった。


 たしかに、小学校5,6年のとき、あいちゃんとよく遊んだのだ。
 一緒に、柔道を習い、中学校に入ってからは、同じ卓球部に入った。
 とにかく、芯の強い、心の強いあいちゃんは、卓球部でもみるみる腕をあげて、僕は全然勝てなくなった。
 入部当初は家に手製の卓球台があったこともあって、割と強かった僕も、あいちゃんの相手にならないだけでなく、ほとんど誰にも勝てなくなり、皆と同じように練習していてもどんどん弱くなっていく自分に愛想をつかして、1年ぐらいで辞めてしまった。
 それから、中学2年、3年の間、僕がどうやって毎日を過ごしたのか、ほとんど記憶がない。
 

 小学校、中学校時代は、僕にとっては暗黒の時代だった。
 前から2番目か3番目のちびで、運動をやっても絶対ものにならず、喧嘩をするような度胸もなく、残された道は、学業だけで、しかも、そんなものは、仲間の間ではなんの価値ももたないのだ。
 そのつらい暗黒の時代、たぶん、幼い僕の心の中では、あいちゃんは、僕をおいて、遠いどこかの光輝くところへ行ってしまったようなものだ。
 僕はその暗黒時代に封印をし、小中時代のアルバムや写真も廃棄してしまった。そして、あいちゃんの思い出も。
 

 そして、昨日、あいちゃんの集まりに行ってきたのだ。
 あいちゃんたちは、卒業後も、ずっと、数人でときどき集まっていたらしいのだが、僕とHくんにとっては、じつに、42年振りの同窓会であった。

 「キョンシー五郎」ならぬ、あの懐かしい「あいちゃん」がいた。
 めちゃくちゃ漫画が上手かったIくんがいた。
 僕と背の低さを争っていたHくんがいた。
 まったく、向こうも、こっちも思い出せないNくんがいた。
 そして、大柄だったTくんがいた。

 そして、その店割烹Tは、Tくんが20数年もやっているお店なのだった。
 素晴らしいお店で、新地などの大阪の中心からやや離れた場所にあるが、「最高級の素材を、創意工夫溢れる料理で、サプライズとともに提供する、ミシュランガイドに載っている店にまったく遜色のない店」という評判が定着している。 昨日出てきた料理の素晴らしさに舌鼓をうちながら、あいちゃんの解説を訊いたのだが、たしかに、その通りの評判を食べログで見た。

 昔話に花が咲いた。
 いちばんよく覚えているのはあいちゃんだったが、しかし、そのあいちゃんの記憶も、僕が覚えていることとは、食い違ったりした。
 思い出話には、お互いの記憶にないことや、食い違ったりしたことはあっても、K先生が、立派な、立派すぎる先生であったことは、皆の意見が一致した。
  

  みんな、それぞれの道を、42年歩いていた。
 そこにいない同級生の消息の情報を交換して、そうか、あいつも苦労したんだなとか、あいつは死んだのか、という話になった。
 最高の先生に教えてもらいながら、どうやら僕らのクラスには、全国区で名前が知れるような人材はでなかったようだ。
 だが、もちろん、みんな与えられた道を、懸命に歩いてきた。
 
 平和な時代に生まれ、高度成長期に育ち、リーマンショックで梯子を外されたのが僕らの世代だ。
 そして、たしかに、戦争こそなかったけど、同じ時代をともに生き抜こうと戦ってきた戦友なのだ。
 眩しいばかりの割烹のおやじになったTくんは、僕とHくんのちびちびコンビを、やっぱり思い出せないという。
 そう、懐かしい昔話には、暗黒時代の苦い風味が加わっていて、僕を辛い気分にもさせるのだ。
 でも、それがきっと、戦友というものだ。

 来年は、多くの同級生に声をかけて、できるだけ大きな会にしようよ、という話がまとまった。
 来年は、いせやんとか、くろやんとか、僕は覚えていないがあいちゃんが、一番美人だったというみどりちゃんとか、来てくれるかもしれない。
 楽しみだ。

ありがとう!
キョンシー五郎」くん!


photo by Ian Aberle