2014年元旦! それでも人生にイエスと言おう!
- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1993/12/25
- メディア: 単行本
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あけましておめでとうございます。
昨夜も積み上げた本を読み、紅白もダウンタウンも失礼して、TwitterもFacebookもろくにみず、とろとろ目覚めたり、考えたり、夢を見たりしながら新年を迎えました。
昨年はたくさんの方に支えられてよい1年を送ることができました。
今年も、ビジネスではよりよいサービスをひとりでも多くのかたにお届けできるよう、がんばるつもりです。
去年のお正月にお伝えしたKimono Archive(バーチャル染織博物館)については、スタートが遅れましたが、現在、仲間と共にNPOの設立申請を行っており、この春にはサイトも公開できると思います。
販売サイト、ブログとともに、Kimono Archiveへの応援も、よろしくお願いします!
この休暇中に読んでいて、現在までのところ、とくに面白かったのが、これ。
「それでも人生にイエスと言う」。著書のフランクルは、ご存じ「夜と霧」の著者であり、この本は、強制収容所から解放された翌年に、ウィーンの市民大学で行った講義を納めたものである。
まだ、戦後の混乱期にあって、本人の傷も十分に癒えていないなかで、平易な言葉で語られた彼のメッセージは、重く心に響く。
その講演はこう結ばれている。
人間はあらゆることにもかかわらずー困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしてもー人生にイエスと言うことができるのです。
なぜ、彼がそう言いうるのか?
どんな不幸と苦難が我々を襲い、明朝、ガス室に送られる運命だとしても、人間は与えられたものに、「どんな反応をするか、どういう態度でのぞむか」ということで、ほんとうの自分をより良く生きることになるのだ。
たぶん、シンプルに言うとこういうことだ。
そもそも、この世界の存在に意味はない、と思う。だけど、ひょっとしたら、自分の知らない「超意味」があるのかもしれない。
この世界の、自分の存在に意味があるのかと問い続けてもそこに答えはない。
死にゆくとき、世界も自分も無意味であると思って死ねば、文字通り、すべては無意味となる。しかし、それでも、最後の一秒まで、よりよく生きてみせるとの意思とともに生きれば、そこに、世界の意味が、生きる意味が、「超意味」が生まれるのだ。
自信はないが、たぶん、そういうことが書かれているのだと思う。
言葉遣いは平易だけど、理解するためには、もっと読み込まなければならないようだ。
興味をもたれたかたは、ぜひ、このお正月にどうぞ。
ではでは!
素敵なお正月を!