教科書よりも、参考書に、より良い内容があると思い込む病
たいせつなことは、シンプルだ。
そいつはたいてい、親や先生たちの口からなんども語られ、教科書やNHKやもろもろの権威とともに語られる。
まあしかし、ひとはへそ曲がりだから、それをそのまま受け取ることができない。
だから、宮崎監督は、「この世は生きるに値するんだ」というシンプルなメッセージを子どもたちに伝えるためにアニメを作らなければならなかったし、稲盛会長はJALの再建のときに幹部たちの顔に浮かんだ「そんなことはじいさんに言われんでも知ってるよ。子どもを諭すような道徳観を押しつけて……」という表情に激怒したのだ。
たいせつなことは、シンプルだ。
だけど、それを一番伝えたい人には伝わらない。
ブログだってそうだ。
たいせつなことをシンプルに書いても、誰も見向きもしない。
大切なことを伝えるには、テクニックと途方もない労力が必要なのだ。
誰だって、たいていの時間を、NHKを見ずに民放を見る。
たまに、とても興味深いテーマの特集があれば見るけど、ふだんは、他人の不幸やトラブルでいっぱいのバラエティばかり見ている。
たいせつな、シンプルなことを、上手に伝えるテクニックが欲しい。
というようなことをぼんやりと考えていたら、レボン爺さんに出会った。
アルメニアに住む60才のレボン爺さんは、ローラーブレイダーだ。
ヘッドフォンで好きな音楽を聴きながら、ローラーブレイド(車輪を縦につけたローラースケート)で、町の中を小鳥のように走る。
動画を見ていたら、なんだか嬉しくなった。
短い動画なので、ぜひご覧あれ(最下部にあり)。
彼の人生は、そしてこの動画は、なにかたいせつな、シンプルなメッセージを伝えることに成功しているだろうか?
僕が受け取ったような思いを、多くのひとは感じるのだろうか?
(レボン爺さんが動画の中で語っていること)
ローラーブレードを履いたら、motion(動き)が始まる。
motionこそ人生だ、知ってるかい?
人は動き出してこそ、生きることになるのだ。
私はローラーブレードを履いて生まれてきた。
私はひとりぼっちだ。
だけど、寂しくはない。
誰かがここにいないことを悲しんではいない。
誰かの不在を嘆くことは、病気みたいなもんだ。
私は空。風を吹きつけて、どこにでも行ける。
だから、ローラーブレードが大好きだ。
好きな音楽を聴いて、小さな小鳥みたいに町を飛び回る。
みんなが訊ねる。車に轢かれそうで怖くないのかい?
怖くはない。死ってものは、こっちが恐れなければ、寄ってはこないものだからだ。
ソビエト連邦が崩壊してからというもの、たくさんの人が殺され、みんなが恐れのなかにいた。
その恐れが、いまもみなの中にあるのだ。
アルメニアの格言に、「食べるものがあるところが、家なのだ」というものがある。
多くの仲間が、「食べるものがあるところ」、おもにロシアに行き、あらゆる種類の仕事、最低給与の仕事をしている。
そこでは、死への恐れではなく、貧困に対する恐れが支配している。
こんな格言もある。「あなたが行ったことのないところは、どこでも素晴らしいところだ」
自分が行ったことのないところは、常によく見えるものだ。
私にとっては、どこにいるかは問題じゃない。
なぜなら、人生ってやつは、こんなにも素晴らしいものだからだ。
かくも面白く、理解不能なやりかたで、そいつは創造された。
そう、この小さな惑星のどこにいようと、いま手にしているものを最大限に使ってやっていかなくちゃならないんだ。